僕らのチェリー
「澪」
名前を呼ばれて澪はどきり、とした。
いつもにたにたと憎たらしい笑みを浮かべている彼がそこにいない。
真剣な表情で恭介は澪をじっと見つめていた。
やがて席を立つ音が教室中に響いた。
ゆっくりと恭介が近づいてくる。
そして煙草の残り香がした。
「これは澪が持ってて」
そういって差し出してきたのは高校生が持つには少し浮くような腕時計。先ほど恭介が壊れたと言ったものだった。
文字盤に小さな傷があり、針は10時57分のままで止まっている。
「なんであたしが」
そこまで言って、澪は口をつぐんだ。
断る間もなく、恭介はすたすたと教室を出て行ってしまった。
時間の止まった腕時計。
恭介はなんでこんなものを持ち歩いているんだろうか。
まあ、いい。
持ってて、ということはいつか取りに戻ってくるという意味だから持っていてあげることにする。
どうして自分に預けたのかその意図は知らないまま、澪はとりあえずそれをブレザーのポケットの中へしまった。