僕らのチェリー
「キョウなんて言ってた?」
病室から出たヨネが澪の隣に座った。
慌てて家を出たのか彼は寝間着姿のスエットで、髪が生乾きのままだった。
石鹸の香りが漂っている。
澪は黙ったまま彼の前に腕時計を差し出した。
ヨネはきょとんとして首を傾げた。
「恭介がその腕時計はヨネのものだからヨネに返してって言ってた」
「えっでもこれおれのじゃないよ。
キョウが誰かのものと勘違いしてるんじゃないか」
「知らない。だって恭介がそう言っていたんだもん。あたしにもよく分からないよ」
病室から漏れる電光灯の光に反射して、腕時計の文字盤がきらきらと輝いている。
しばらく腕時計を眺めていると廊下の向こうから誰かの足音が近づいてきた。
恭介だと思って立ち上がるが、向かってきたのは黒いスーツを着た四十代ぐらいの中年女性だった。
その女性は澪の前で立ち止まってそれからゆっくりと上から下へと舐めまわすように視線を動かした。
「秋谷奈美さんってここの病室?」
どうやら彼女は奈美に用事があるらしかった。ヨネが頷くとその女性は軽く会釈して中へと入っていった。
一体誰なのだろう。
そう思った二人はほんの少しだけ扉を開けた。小さくだけれど奈美とさきほどの女性の声が聞こえる。