僕らのチェリー
「なあ、聞いてもらっていい?おれの独り言」
ざあ、と生暖かい風が窓の隙間から吹いた。その感触はいつも見るあの夢と同じだった。
「それは独り言とは言わないんじゃない?」
「…」ヨネはらしくもなく黙っていた。
「どうしたの?」
外は暗闇が空を覆っている。
奈美は先ほどバイトがあるからと言って帰っていった。
二人しかいない教室はやけに静かで、ヨネは少し俯いて自分の席に腰掛けていた。
いつもと様子が違うことに気付いた澪は、ただ頷いた。
それから彼は重たい口を開くように、ゆっくりと話した。
「おれさ、アンナ先生が事故に合ったとき見てるんだよね。
いわゆる最初の目撃者なんだ。
ひき逃げした奴はそのまま原付に乗ってそこから何事もなかったかのように去っていった。
本当にあっという間で、本当に一瞬のことで…。
正直おれ、あまりその時のことをよく覚えていないんだ。
ただ唯一頭に残っているのは倒れているアンナ先生のところに駆け寄った時、先生が泣いていたことだけで。
先生は泣きながらおれの名前を呼んで、何度も何度も"ごめんなさい"って。
先生が謝る事なんてなに一つないのに。
今はその泣き顔だけが鮮明に焼き付いてて、肝心の、一番覚えていなきゃいけない先生の笑った顔は段々と記憶から薄れていって。
なんか可笑しいよな。
あんなに長く一緒にいたのに、先生のことを思い出すと、あの時見た泣き顔だけしか思い浮かばないんだよ」
そう話した彼の横顔は悲し気で、知らない人に見えた。
さっきまであたし達を照らしていた月は、いつの間にか雲の中へと隠れている。
学校のチャイムが鳴った。
彼はその音に紛れて、少し聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。
「おれたちが一緒に過ごした意味って一体何だったんだろう…」
結局、恭介は教室に戻ってこなかった。
ヨネと歩いた帰り道はお互いに一言も交わさず、澪はその気まずい沈黙から逃げるように、ただひたすらに無心に歩き続けた。