竜と孤独な花嫁
はじまりの物語
天上界と地上界が分かたれていなかったその昔。
神の遣いとして神竜がその空を支配していた。
大きく強靭な身体、鋭い爪と心まで見透かす大きなの瞳、そしてその体躯の倍以上ある大きな翼。
一匹の竜に匹敵するものなど存在せず、と言い伝えられるほどその力は絶対的である。
地上人はそれを恐れ、崇め、信仰の対象となった。
深々と灰雪が降り積もり、木々を白く染め上げ白に隠れてゆく。
その白に音が吸い込まれ、辺りの音は消えゆき静寂のみがそこを支配していた。
凍える寒さに動物はおろか、人も寄り付かぬ山々の奥に澄んだ水の海があった。
肥沃な山々より染み出た清水が一堂に集まり、そこに巨大な水の海が堂々と存在している。
その清水はどこまでも澄み、凍ることなく水の底が隅々まで見渡せ、青く神秘的な情景が、そこにはあった。
静寂のみのその世界に突如として地上人のひとつ、ふたつと深い雪の中をかき分ける足音が響き、それは次第に数を増して長いひとつの列が出来上がっていく。
まるで百足のようなその地上人の列の中に、数人の男達が肩に担ぎあげて運ぶ一つの供物が異様なまでの存在感を放っている。
それは粗末な木々で作られた神輿だった。
人ひとりが横になれるほどの大きさの神輿に、真っ白な婚礼衣装を身につけた娘が琥珀色の瞳で灰雪の虚空を見通していた。
粗末な神輿に野獣の毛皮を敷いただけのその上に、美しく着飾った娘が横たわり、薄化粧を施され白の婚礼衣装より際立つ真っ赤な口紅が、恐ろしいほど美しかった。
竜よ
竜よ
我らの竜
竜の花嫁はいずこ
花嫁はここに
花嫁はここに
我らの願いを聞き届き
安寧の地を
竜の花嫁はここに
連れてけ
連れてけ
花嫁はここに
その列からは、繰り返し繰り返し子守唄のように、厳かに唄が紡がれ山々に谺響する。
美しく、切なく、悲しく、憂いを含んだ様なその唄に合わせ灰雪が舞う。
地上人の列は水の海にたどり着くと、担ぎあげてきた供物を情もなく、冷たい雪山の中に娘一人置き去る。
そこに取り残された娘は微動だにせず、大人しく雪の中に横たわり灰色の空を見つめ続けた。
まつ毛に乗った雪の結晶を瞬きで一つで落としたその瞳は地上人では珍しい琥珀色だったが、娘は知らない。
それを教えるものが誰もいなかったからだ。
新雪の雪布団に身を委ねた身体をゆっくり起こし、一歩一歩と危なげに歩を進めていくと足元で水音と共に片足が冷たく濡れる感触が伝わる。
どうやら目的の場所まで辿り着いたようだと、もう一歩進み両の足を清水に浸す。
そのまま歩みを進めると、肌からは突き刺さる程の冷たい清水が足全体を貫く。
しかしそれは感覚だけ。
痛く、寒く感じていても、ちっとも体は動かない。
今ここにいる事こそが、今まで生きてきた意味。
指先で撫でるように水面に触れ、ゆっくり瞼を閉じる。
感じるの滑らかな感触と突き刺すような水の冷たさだけを感じ、その清らかな水の海に身を沈めた。
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