××夫婦、溺愛のなれそめ

午後五時。チャイムが鳴ると同時にバッグをつかみ、席を立った。一秒でも早くこの場から去りたい。

「おつ」

「あ、中岡ちょっと」

『お疲れ様でした』の冒頭部分で部長に呼び止められた。聞こえないふりをしてやろうかと思ったけど、目が合ってしまったので仕方なく彼を見る。

すると部長はちょいちょいと私を手招きしていた。なによ。用があるならお前が来いっつーの。

とはさすがに言わず、すたすたと部長のもとへ。ああ私、今すっごく怖い顔していると思う。

「なんでしょう」

バッグを肩にかけ、帰りたい感を押し出したまま聞くと。

「退職の話、どうする? 確認してみたけど、今ならまだ撤回できるって、人事が言ってたぞ」

こそこそと声をひそめる早川部長。わざわざ聞いてくれなくてもいいのに。誰がそんなこと頼んだんだろう。

「周りがどう言おうと、お前は俺にとっては真面目に仕事をこなしてくれる貴重な部下だから」

返事をする前に、そんな風に言われた。部長は照れくさそうな顔をしている。

部長は私の仕事ぶりを評価してくれてたのか……。うっかり開きそうになった心のチャックを、慌てて閉めた。

さっきの由香の件もある。誰も信用しない方がいいだろう。裏切られるのがオチだもの。


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