蓼科家物語 四女 桜和の話
男が車でどこかへ向かうのを見届けてから彼女はもう一度俺に話しかけた。
「ごめんなさいね、あの人、私が話しかける人にはいつもああ言う態度なんです。学生の頃よりはいくらか落ち着いたと思ってたんですけど…」
この人、もしかして天然か…。さっきのは明らかに独占欲丸出しっていうやつ……。
「では、私もこれで失礼しますね」
俺に向かって綺麗に会釈をした彼女は、あの日俺があの少女とくぐった裏口のドアから中へ入っていった。
俺はもらったカイロを手にまた塀に背中をつけて寄りかかった。
……ずっとずっと、待ち続けていたのに、右近と約束した1週間の期限が終わってもあの子に会うことはなかった。
+×+×+
休日の昼下がり。俺は今目の前の書類たちと格闘している。たった3週間休んだくらいでこんな仕事がたまるとは予想外だった。
春「はあ……おわんねえ」
右「ずっとサボってるからですよ!!俺が頑張って処理したところであなたの的確な指示には及びませんし……。これが終わったら会長のところにいきますから準備しててくださいね」
春「じいさん、なんかしたのか?」
右「こら、会長って呼んでください。……………………大きな病気で入院したらしいですよ」
へー、なるほど。またぎっくりやったか。
春「で、ぎっくり腰はいつ治るんだ?」
右「主治医の話では1週間くらいと……ってなんでぎっくり腰ってわかったんですか。俺、会長に口止めされてたんですけど」
春「あのじいさんの考えてることくらいわかる。大きな病気とかいって、俺に喝入れたいだけだろ」
右「それは、若は会長が孫の中でも一番手塩にかけて育てた子ですからね。若のこと大好きでしょうね」
春「………それ、なんか気持ち悪いな。まあ、早く終わらせるか」
右「やれやれ結局若も好きなんじゃないですか」
春「…なんかいったか?」
右「いえ、なにも」
右近はかすかに笑みを浮かべて作業に戻っていった。
会長に…会ったら………
どうせまた婚約の話とかして来るんだろうな。婚約者には半年くらいあってないんだけど………
しかし、死ぬ前にひ孫の顔見せてやりてえな……。
春「……どうするかなーーー」
見ていた書類を一旦おいて伸びをする。
そして……3週間もあっていないくせに、俺はまだあの子のことをひきずっているということを自覚したのだった。