私たちは大人になった

─────三年半前。


「鈴木さん、申し訳ないけど今から仕事頼んでもいい?」
「…はい、大丈夫です」

本宮(もとみや)さんは、涼しい顔で私に残業を申し付けた。取って付けたような「申し訳ない」により一気に断りづらくなったのも、彼の計算かもしれない。
でも、断ったところでやらねばならない仕事が減る訳でもないし、どうせ早く帰ってもやることはないのだからと、本宮さんからの指示の書かれた書類の束を受け取る。

「悪いな、助かる」
「いえ、仕事ですから」

またもや、とても悪いとは思っていない口調で言って、彼は私の向かいのデスクへと戻る。
定時を過ぎたばかりのオフィスだというのに、今日はどういう訳か人はまばらだった。互いのパソコンを隔てているとはいえ、向かい合わせの席で二人きりでいるなんて息が詰まる。

正直なところ、本宮さんのことは苦手だ。
理由はいろいろあるけれど、一番は何を考えているか分からないところ。真剣な顔をしてふざけた事を言ってみたり。ふざけた口調で肝心な話をしてみたり。もう五年近く一緒に働いているが、どこからどこまでが冗談かよく分からない。
それでも、仕事はそれなりに実績を上げていて、上司の期待も厚く、私より二歳年上、まだギリギリ20代だというのに去年からグループリーダーの肩書きが付いたくらいだ。
そして、必要以上にスタイルが良いところも苦手だ。スラリと伸びた背と手足、小さな顔。格好いいと言う同僚もいるが、小柄な私にとって、見下ろされると並々ならぬ威圧感がある。
そして、苦手な理由はもう一つあるのだけれど……。

「鈴木さんはさ、早く帰らなくてよかったの?」
「…なんでですか?」

突然投げかけられた質問に、ピクリと眉だけが反応したけれど、何とか平静を装って聞き返した。

「何でって、そりゃ…」

彼がモゴモゴと言い淀んだので、仕方なく私は聞きにくいだろう事実を告げた。

「彼氏なら、別れました」
「それは、知ってる」
「じゃあ…」

聞かないでください、と続く筈の言葉は、彼の言葉に遮られる。

「合コン、行かなくてよかった?」
「…行きませんよ」

バレンタインデーに合コンをやる人なんているのだろうか。

「先週誘われてたじゃん」

そういえば、隣の席に座る後輩の亜美ちゃんに、飲み会に誘ってもらったような気がする。
明らかに合コンっぽかったので断ったけど、あれは今日だったのか。
メイクを直して定時退社していった亜美ちゃんの健闘をそっと祈る。
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