私たちは大人になった

「本宮さんこそ、早く帰らなくていいんですか?」
「帰れないでしょ、鈴木さんに仕事頼んでおいて」

聞いておいて何だけど、本宮さんの答えは本当は何だってよかった。でも、返ってきた答えにどういう訳かわずかに落胆した自分がいる。

「いいですよ、私の担当ですし」
「でも、急いでやってって頼んだのは僕だ」
「でも、いいです。別に居てもらっても早くなるわけじゃないし」
「じゃあ、手伝うよ。鈴木さんが入ってくる前には僕がやってたし」
「じゃあお分かりだと思いますが、このくらいすぐに終わるんで、いいです」
「何で、そんなにムキになってるの?」

言われてハッと我に返った。

「すみません」
「いや、謝らなくてもいいけど」

そこからは、無言だった。
意地でもカタカタとキーボードを打ち込む手は止めない。
早く帰りたいけど、仕方なく付き合っている本宮さんをこれ以上足止めするわけにはいかない。
一息つくこともなく頭と手を動かしていたら、30分ほどで本宮さんに頼まれた、単価表の修正と見積書の作成を終えた。

「うん、ありがとう」
「いえ、必要部数印刷しておくので、本宮さんは早く帰って下さい」
「いいよ、鈴木さんも帰るだろ?一緒に出よう」
「何言ってるんですか。約束あるんでしょ?早く行ってあげてください。待ってますよ、彼女」

先ほどの会話から、帰りたくても帰れないということは、彼には今日約束している相手が居るのだろうと察しが付いた。バレンタインデーに約束するなんて、恋人かそれに近い女性に違いない。
図星を突かれて珍しく狼狽える本宮さんを笑顔で送り出してあげようと思ったのに、彼は数秒きょとんとした後、なぜか突然笑い出した。

「くっ…ははっ…ははは…なんだ、そういうこと」
「ちょっと、どうして笑うんですか」

何がおかしいのか分からなくて、思わずムキになって問い質す。
本宮さんはひとしきり笑った後で、ニッコリ微笑んで言った。

「大丈夫だよ、僕はまだ鈴木さんのことが好きだから」
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