私たちは大人になった

「かなえ、もう一回俺とやり直してくれ」

まっすぐ、ストレートに。
懇願する芳樹の姿に、私は本日一番大きな溜息をついた。おめでたい日になんてことだ。

「困ったことがあるのなら、相談くらい乗るよ?」
「今、かなえに話をはぐらかされてるのに一番困ってる」

何か事情があるのかと探りをいれてみても、あっさりと切り返される。

「本当に今さらだけど、俺はかなえと結婚したいと思ってる」

軽々しく“結婚”の2文字を口にした芳樹に失望した。もちろん、彼はそんな私には微塵も気づいていないのだろうけど。

「もういい年だし、結婚焦る気持ちもわかるけどさ、少し冷静になろうよ」
「俺は十分冷静だよ」

受け入れられそうにはないが、元恋人の奇行の原因については何となく思い当たる節があった。
きっと、芳樹の頭の中では若いころのきれいなままの思い出が“磯本かなえ”というフォルダで今も保存されているのだろう。
それに対して私の頭の中では、すでにこの三年の間に上書き保存されたデータしか存在しない。
もちろん付き合っていた記憶はあるが、あの頃はキラキラしていたはずの“宇野芳樹”は今では単なる過去の男の一人に過ぎず、私を少しもときめかせることはないのだ。
相変わらず私好みの見た目なのが、少しばかり恨めしい。合コンで初めて会った相手だったなら、きっと私はこの見た目に十分ときめくことが出来るだろう。

「折角ですが、丁重にお断りします」

真剣な告白には、真摯な対応を。
色々とあきらめた私は茶化すことなく、今度は芳樹の目を見てはっきりと告げた。

どういう事情があるのかは知らないが、今芳樹が抱えている十分の一、いや百分の一でもあの頃の芳樹に結婚願望があれば、私たちの今は変わっていたのかも知れない。
まあ、そんなこと考えること事態、無意味だということはよく分かっている。

「無理だよ。あの頃にはもう戻れない。悪いけど、もう帰ってもいい?」

だめ押しするように“恋人が待ってるから”と付け加えようかと思って、やめた。
後々面倒なことになるに決まっているから、その場しのぎの嘘はつかない主義だ。一ヶ月前にくだらないケンカが原因で恋人と別れたことをほんの少し後悔した。
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