嘘つきな君

しゃくりあげる私の背中を、優しく仁美が叩いてくれる。

トントンと、規則正しく。

その優しいリズムの中で、暖かい腕の中で、ようやく呼吸が穏やかになる。

すると。


「全部、忘れちゃいなよ」


小さく呟いた、仁美。

その言葉に、思わず唇を噛みしめる。


「彼と過ごした日々、全部。忘れちゃいなよ」


その言葉に、目頭が再び熱くなる。


どうしてだろう。

こんなに苦しいのに。

あんな酷い事言われたのに。

忘れてしまわなければいけないと思うと、胸が押し潰されそう。


忘れたい。

忘れたくなくない。

矛盾した気持ちが胸を覆う。


だって絵に描いたような人だった。

まるで夢の中にいる様な日々だった。

泡の様に消えてしまったけど、確かに私は幸せだった。


何よりも、誰よりも愛した人。

意地悪で、自己中で、自信家で、どうしようもない人だったけど。

誰よりも、愛した人だった。


あまりにも美しすぎた、愛の日々。

そんな日々が、今も私の心の真ん中にある。

例えそれが偽りの日々だったとしても、私にとっては――。


本当に愛した人とは、結ばれない運命だってどこかで聞いた。

無数のしがらみの中を、必死に駆け回ってきた私達。

必死に抵抗して、我武者羅に駆け回って。

ただ愛し合って、未来を望んだ。


だけど。


その日々すら、すべて偽りだった。

私の独りよがりだった。

恋愛ごっこ、だった。

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