星が降るようで
 目の前が真っ暗だ。色を失った世界を、ただ誠一の手に引かれるままとぼとぼ歩く。私たちは互いに何もかける言葉を見つけられず、ひたすらに口をつぐんで自分の影に目線を落としていた。
 行くあてもなく、しかし戻る気にもならず、知らない街をうろうろと彷徨い歩く。あれだけ晴れ渡っていた空も橙に霞み、気がつけば辺りは深い藍に染まり始めていた。
 と、爪先に感じた痛みに私は立ち止まる。私たちの繋がりがくんっと引っ張られ、目の前の彼も足を止めた。

「どうした?」

「……足が痛い」

「ああ、一日中歩きっぱなしだったもんな。ちょっと座るか」

 脇道にそれたところに小さな公園が見える。水道とブランコしかない、ひっそりとした秘密基地みたいな空間だ。
 長いこと誰も揺らしていないだろう錆びたブランコに私を座らせると、誠一はその足元に跪いた。

「見せて」

 痛む右足をツイと差し出すと、大きな手が靴下を脱がせる。少しばかりの恥ずかしさに、私は顔を逸らした。

「ああ、ちょっと擦りむけてる。まゆこ、絆創膏持ってるか?」

 私から受け取ったそれを貼る手つきはどこまでも丁寧で、なぜだか鼻の奥がツンとする。

「ごめんな、気づけなくて」

 黙って首を横に振る私に、誠一は悲しげに笑いかけると、キイ、と軋んだ音をたてて隣に座った。長い沈黙。

「……ごめんな」

 最初に口を開いたのは誠一だった。

「どうして謝るの?」

「観覧車、乗せてやれなくて」

 約束したのにな、と呟く声が寂しい。

「仕方が無いよ、なくなっちゃったものはどうしようもないもん。それに今日ここに来たのだって、元々……」

 うん……と静かな頷きが闇に溶ける。口に出さなくても分かっていた。私たちの恋が今夜ここで終わることを。この小さな公園が、旅の終着点。

「誠一、私ここに来れてよかったよ。そりゃ随分色々と変わっちゃってたけど、私たちが過ごした思い出の場所なんだし。これでもう」

 悔いはないよ。続く言葉は、けれど喉の奥に詰まって息を塞いだ。代わりのように涙が溢れて止まらない。
 決心してきたつもりだった。けれどバスの中で夢見た甘美な世界はあまりにも幸せで、あまりにも離し難くて。あまりにも……

 ガシャン、と鎖のぶつかる音が響く。

「嫌だ、別れたくない。好き、誠一、大好き。大好き……」

 衝動のままに誠一の胸にすがりつく。彼は一瞬体を震わせて……強く強く力のこもった腕で私を抱きしめ返した。
 確かにここに私たちは存在するのに。こんなにも昔のまま。けれど私たちの帰る場所はもうないのだ。二人きり閉じこもる場所も、共に死ぬ場所も、もうどこにも。
 どうにもならない現実に、二人声を上げてただ泣き続けた。そういえば前世でも、こうやって身を寄せあってよく泣いたっけ。「まゆこの死」という現実に。
私がいなくなった後も誠一は一人ぼっち、こんな風に涙していたのだろう。

 全てが終わる今、二人一緒に最後の時を迎えられるのは、人生越しの願いがひとつ叶ったと言ってもいいのかもしれない。
そっと身体を離す。流れ込んできた冷たい空気が、涙に濡れた頬をひんやりと撫でていった。

「最後に言わせて」

 柔らかに滲んだ鳶色の瞳が私を見つめる。

「大好きだよ、まゆこ。ずっと、ずっと愛してた」

 大切な言葉を閉じ込めるようにゆっくりと瞬きをして、私はこくりと頷いた。
 触れるか触れないかで額を擦り合わせると、それを最後に私たちはそれぞれのブランコに座り直す。
 と、何気なく見上げた夜空に私たちは同時にわあ……と息を飲んだ。

 頭上には満天の星が広がっていた。澄んだ漆黒の空に、まるで息づくように星々が瞬いている。

「すごい……」

「うん、綺麗だね。まるで星が降ってくるみたいだ」

 ああ、あの時と同じだ。あの日の帰り道、二人で同じ空を見上げた。同じ会話をして笑い合った。
 ……やっと見つけた。微笑んだ頬に涙が伝う。
 やっと見つけた、二人の思い出。もう二度と帰ることはできないけれど、それでも最後に見られてよかった。この、まるで降るような星空を……
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