こんな恋のはじまりがあってもいい
こうして
俺は相変わらずミキの前でもシレッと済ました顔で
市原にワークやノートをせびりに行っていた。

「おーい」
「無理!」
「……まだ何も言ってねーけど」
「言わなくても分かる」
「おっテレパシー?」
「バカじゃないの?」

そんなやりとりをしながら、アイツは
シッシッと犬でも追い払うかのように俺をあしらう。

「ひどい、俺傷ついた」
「じゃあミキに癒してもらいなさい」
「だってさ」
肩をすくめて隣の彼女を見やる。
ミキも冗談めかして
「おーよしよし、かわいそーだねー」
なんて俺の頭を撫でてくる。

「やってらんない」
市原は心底うんざりした顔で大袈裟なため息をついた。

二人の関係を話したところで、
市原の態度は何も変わらなかった。

ほら、思ったとおりだ。
コイツはそんなヤツだった。

だけど
「おーい市原」
「はーい」
こうして時折、後ろから声がかかって
「じゃ、そういうことで」

残念でした、と手をヒラヒラさせながら
教室へ戻ってしまう。
行き先はーーー真野だ。

「ここ、どういう意味?」
「あぁ、これは……」

二人で机を囲み顔を突き合わせて
何やら問題を解いている。

「また真野か」
「真野くんも賢いはずなのにね。」
「全くだ」
「……あかねを取られて、調子狂っちゃう?」

ニヤニヤと隣でからかうように、ミキが小突いてきた。
「は?なんで俺が……」
「なんか悔しそうじゃん」
内心、ドキリとした。

何でもないそぶりで誤魔化そうとして
胸の奥が一瞬、軋んだ。
「そりゃお前、アイツのワークめちゃくちゃ見やすいんだぞ?ミキも見せてもらえよ」
と、口を尖らせて熱弁する俺を見て
「知ってるし」
彼女はそう言って拗ねるようにツンとそっぽを向いた。
「じゃ分かるだろ」
「どうだか」

なんだよそれ、と俺は彼女の頭をわしゃわしゃとかき混ぜて
「とりあえずミキ、ほら」
と手を出した。
「なぁに?」
「バカ、ワークやってるだろ」
「えー私のは字が汚いとか間違いが多いとか言うじゃん」
「この際オマエのでいいから」
「何よ、失礼ね」
「頼む」

もー、とミキはわざとらしく頬を膨らませて
それでも素直にワークを俺に差し出した。
「帰るときに返してね」
「了解」

タイミングを見計らったかのように、予鈴が鳴る。
俺はじゃあな、と彼女にデコピンをくらわして
さっさと教室へ戻った。



時々、ミキがふいに寂しそうな顔をする。
ほんの一瞬だけど。
その度に、何か心を突かれた感じがして
息苦しい。




歯車というのは、ひとつが欠けると
とたんに噛み合わなくなるらしい。
なんとなく
それに似た感覚が、胸の奥底にじわじわと
広がる気がした。


胸が、軋む。
どこか調子が悪いんじゃないだろうか。




放課後。
「ミキ、助かった!サンキュな」
校門でいつものように待っている彼女に、出会うなりノートを渡して礼を言う。
「どういたしまして」
「いやー、今日出席番号で当てられてさ。ギリギリセーフ」
「私のおかげね?」
「感謝してます」
「よろしい」
ふふ、と二人で笑って
いつものように、帰り道を歩く。

そして話題は
「そういや聞いてよ、今日さーあかねが先生に当てられたんだけど」
「うん」
何でもない話題なのに、ドキリとしてしまう。

「寝てたのかな、ボーッとしてたみたいで焦ってたのね」
「珍しいな」
普段真面目に授業受けてるだろう姿が想像つく。
中学の頃の思い出がふいに、脳をかすめた。

「そしたら……真野くんがさ、大きな声で私にページ数確認するの。寝てたーって言いながら。もう笑っちゃって」

楽しそうに話す彼女の声が、どこか遠くに聞こえた。
なんでいつも
なんで

「……あれって絶対あかねの為だと思うんだよね」
「…………なあ」
「うん?」

俺は、いつの間にか
どこかで歯車の欠片を落としてしまったのかもしれない。

「その話、もうやめないか?」
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