いちばん、すきなひと。
ブランコのように、揺れる。
その後警察から連絡があり、
似たような事件の報告が近所で上がっているとの事だった。
どうやら殴られたのは私だけみたいだが、痴漢同様の被害報告が多いとの事。

私は、運が良かったのだろうか。
殴られたのは今だに腹立たしいけれども。


それにしても。
そんな危ないヤツが近所をウロついている事自体、怖い。

これ以上何もない事を願う。


それからというもの、毎日ではないけれど
予定がない時、部長は一緒に帰ってくれる。

部長の時間をそんな事に費やすのは申し訳ないと言ったら、携帯の番号とアドレスを交換する事になった。
何かあったら連絡できるようにと。
そんなことまでしてもらっていいのだろうか。まるで保護者だ。

結局、断りきれず
なんだかんだで一緒に帰る事になるのだけれど。

心配してくれるのは嬉しい。
彼と並んで帰るのも、楽しい。
居心地がいい。


だけど。
本当に、いいのだろうか。

そんな疑問が、心の底で燻っていた。



部活動では、さほど話す事はない。
絵の話をしたり、描き方のアドバイスをもらったりはする程度。

ただ、私がいつも夢中になって最後まで残っているから、それに付き合ってくれているようなものなのだ。

もう少し、早く帰るほうがいいのかな。

だけど
一緒に帰る時間を手放すのが惜しくて。
絵をちゃんと描きたい気持ちもあって。
つい、毎回ギリギリまで残ってしまう。


どうしたらいいんだろう。
このまま、ズルズルと甘えて良いのだろうか。


悩んだまま、日々が過ぎる。
そんなある日。奥田さんが私を呼んだ。

人気のない階段の踊り場で、腕を組んだ奥田さんは溜息をつく。
「……最近、部長と一緒によく帰ってるみたいだけど……何かあったの?」

いつか聞かれるんじゃないかと思っていた。
なんせ、彼女はおそらくーーーー部長の事を気にしている。
部長を観察していれば、私の事も目に付くのだろう。

奥田さんは、嫌いじゃない。素敵な優しい先輩だ。
彼女には正直に話そうと思った。

金曜の出来事を説明する。
偶然にもその場に居合わせた事もあって、部長は心配してくれていたと。

「……そんな事があったの、そういえば顧問の先生からも聞いたわ。下校時は皆注意するようにって」
ふうん、と奥田さんは納得したように頷いたが。
「それにしても、部長は心配しすぎだと思うわ。毎日一緒に帰らなくても……ねえ?」
「あはは、そうですね……多分、責任感の強い方だからだと思うんですが」
「本当に、そう思う?」

空気が、変わった気がしたーーーー冷たい風が吹いたような。

「……え?」
私は彼女の問いの意味が分からず、口を開けたまま止まってしまった。
「部長が、責任感だけで……毎日一緒に帰ってくれるのだと思ってるの?」

他に何があるというのだろう。

私が返答に困っていると、彼女は小さく溜息をついて。
「まぁいいわ。宮野さんがそう思ってるのなら、そうなのかもしれないわね。」
うんうんと勝手に何か解釈したのか、奥田さんはそう呟いて自分で納得したようだった。

「ごめんね、何だか嫌な事根掘り葉掘り聞いてしまったみたいで。悪く思わないで。」
奥田さんは両手を合わせて私に謝るポーズを取る。
私は首をブンブンと横に振った。

彼女の気持ちは分かる。
きっと、部長の事が心配なのだろう……私なんかと一緒にいるから。
ものすごく、申し訳ない気持ちになった。


それから
奥田さんが、部長と何か話しているのを何度か見かけた。
けれども二人ともそれについて何か私に言ってくる訳でもなく。

私の事が話題に上がっているかどうかなんて知る由もなかった。



相変わらず、部長はそれとなく一緒に帰ってくれた。
奥田さんも、それきり何も言ってこなくなった。

二人の間に、何があったかは知らない。
何もなかったのかもしれない。

お盆休みの前に、絵がひとつ完成した。
最初にイメージしたものに近い、いいものが描けた。
あくまで自画自賛の域だけど。
それでよかった。

ひとつの作品を仕上げる事は、簡単そうで難しい。
けれどそれを終えた時の充実感。

「……できたー!」
私が両腕を上げて伸びをしながらそう叫んだので、隣の友達・由香がキャンバスを覗き込んだ。
「わー……凄い。みやのっち、こんなに描けるんだ。私なんて中学から美術部だってのに……」
「んなことないない。自己満足の域だよ私の絵なんて。由香の方が上手いってホント」
「そうかなー……私、描き始めたらどこで終わればいいのか分からなくなってくるよ」
「あ、それ分かる。私もまだこうしようとかああしようとか凄い考えちゃう。でもこれはもうおしまい」

私の話を聞いて、由香は思わず腕組みをして自分の作品を眺める。
「へーそうなんだ。私もそろそろ終わろうかな」
「……そんな流れで終わるモンなの?」
「みやのっちの話聞いてたら、これでもイイ気がしてきた」
「あはは、それは由香が自分で決めてよー」

私は肩をグルグルと回し、画材を片付ける。

お盆の間は祖母の家に行ったりと忙しいので、また休み明けに新しい物を描き始めよう。
あの、並木道の絵を。
イメージしただけでワクワクする。

早く描きたい気持ちを押さえつつ、帰りにあの道で構図を考えながら帰ろうかと思いつく。
外はまだ明るい。
皆まだ、作業を続けている。
私はキリがよかったので、先に帰る事にした。

「部長、キリよく出来上がったので今日は帰りますね」
早く次の絵の構図を決めたくて、ウズウズしながら部長に報告する。

「ーーーあぁ、いいよ……ホントだ、綺麗な絵になったね。」
少し離れた席から、私の作品を見て部長が言う。
「あのまま置いて帰っていいですか?乾かしておきたいし」
うん、と部長は頷いてーーー私の目を見つめた。
「帰り、気をつけてね」

本当に、心配してくれている。
それが嬉しくて、そして何だか二人だけの秘密のような。
くすぐったい感覚を覚える。
「今日は明るいから大丈夫ですって。それじゃ」
私は心配かけたくないので、努めて明るく振る舞った。

「お先に失礼しますーお疲れ様でしたー」
部員の皆にそう挨拶して、私は一足先に、教室を出た。



まだ外は明るい。
開放的な気分になる。
どこかーー本屋でも寄り道したい気分だ。

だけど、念のためまっすぐ帰ろう。
これで遅くなって何かあったら、部長に申し訳ない気分になる。

並木道を歩き、どの構図がいいかを考える。
幸い、この時間は通行人もそこそこいるので安心だ。


「あっ!おーい、みやのっちー」
後ろから声がする。
振り返ると、野々村がいた。

ドキリとした。
少し、後ろめたいような何か。

何もないのに。
私は何を考えているのか。


「あれ、どうしたの?」
「今日オレ朝から練習、午後から自主練。だけど疲れたから今帰り。」
「あぁ、そうなんだ。自主練とか頑張るねー」
「天才も努力は必要なんだよ。みやのっちは?今帰り?」

最初の言葉はスルーしよう。
「うん、今日は作品が仕上がったから早めに切り上げてきた」
「へー、どんな絵描いてんの?」
「部室からの眺め。風景画だよ。」
「それって、どこかに展示したりしねーの?見たいわー」
「どうだろう?コンクールに出すみたいだけど、出さなかったらどこかに飾るかもね」
「マジ?コンクールとかスゲーじゃん。みやのっちは絵上手いからイケるんじゃね?」
「美術部員なんて皆絵上手いよ。私なんてぺーぺーだってば」
「そんなモンなの?」
「そうだよ。部長の絵なんてホント凄いんだから」
「へー」

部長の絵は好き。
色使いが綺麗で、繊細な印象なのに……どこか強さがある。
ずっと、眺めていたい絵。
あんな絵、どんな人が描くのだろうかと、初めて部室に入った時に思っていたのだが
部長を見て納得した。
彼なら、描けるだろうと。

「どこかで飾られたら教えてよ。みやのっちの絵、見てみたいから」
野々村がこちらを向いて笑いかける。
いい笑顔だ。
ほんわかする。

「うーん、そうだね。真っ先に野々村に自慢するよ」
「なぜ自慢……ま、いいや。オマエの自慢なら聞き入れてやろう。松田の自慢は却下だけどな」
何となく理由が分かって、笑ってしまう。
松田はそういうキャラだな。うん。

野々村と合うと、ホッとする。
なのに。自分の心が……鈍くなった気がするのは何故だろう。


おしゃべりに夢中になって、すっかり絵の構図の事を忘れていた。
並木道の終わりにさしかかってその事に気付いた。
「あ、私忘れてた。次の絵の構図ここで決めようと思ってたのに」
「そうなの?ここで……ってこの絵を描くのか」
振り返り、木々の揺れる道を二人で眺める。

長い、長い並木道。

あの、夕暮れの道を描こうと決めている。
と、なると。やっぱり構図はここからの眺めだ。

あ、そうだ。カメラで写真におさめとこ。
後で使えるかも、と携帯を取り出す。
待ち受け画面に、メッセージのお知らせが来ていた。

田村部長から、だ。

ーーーーーー後で読もう。

カメラを先に起動させ、画面を見ながら数枚シャッターを押す。
角度を少し変えたり、視点を変えたりしながら、いくつか方向性を決めた。

その様子を、隣で野々村は黙って見ている。
私は自分の事に夢中になり、野々村を巻き込んだ事を忘れていた。
ふと、我に返り謝る。
「あっごめん突然こんな事して……つき合わせちゃったね」
野々村は笑いながら、いいよと答える。
「みやのっちと会うの、久しぶりだしな。それにしても楽しそうだな、部活。いいじゃん」

その言葉に、笑顔に。
また心を揺さぶられる。

分かれ道で、またねと手を振り。
自分の家に向かって歩く。


ふと、普段気にしないのに
すれ違った人が目についた。

あれ?どこかで……

その瞬間、背筋が凍った。

あの日、私を殴った奴ーーーだった。
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