いちばん、すきなひと。
不安定なこころ。
文化祭もあと数日。
本当に私は余裕がないようだ。

たまにかかってきた電話もつい、そっけなくなってしまっている自分がいた。

電話をくれるのは、いつも彼。
私は目の前の事に集中すると全てを忘れるので、気付いたら深夜という事もしょっちゅう。
だから……と言い分けにもならないが
いつも、着信を見て思い出すのだ。

そしてその日も変わりなく。また、ディスプレイに表示される文字を見て気付く。
「あっもしもし?」
「……忙しそうだね。大丈夫?」
「あーすいませんホント。絶賛テンパリ中です……」
「……また今度にしようか?電話」

そう言われた時に
あ、と思った。

気を使われすぎている。

「いや今がいいです。今。」
「……どうして?」
「理由はないですけど……私多分ちょっとテンパッてるからだと」
こういう時こそ、彼の声を聞いて落ち着きたいと思った。

「そんなに大変なら手伝うよ。大道具やってるんだって?」
「大道具はとりあえず今日で仕上がったんですけど、結局小道具が間に合ってなくて
そっちを手伝う事になって……そしたら部活のほうの絵が終わってなくて、それも今家で描いてるトコなんです」

「美術部の絵は別に出さなくても大丈夫だよ?」
「そうなんですけど。私だけ何も展示しないのも何だか嫌だったんで」
「……そう。頑張るねぇ」
「欲張りなんです。きっと」
「あまりやりすぎるのもよくないよ。」

少し、冷たい声のような、気がした。
怒ってるんじゃないかと思ったほどに。

「……ごめんなさい……」
だからつい、咄嗟に謝ってしまった。
「いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだけど……」
彼の困ったような声が聞こえた。
私の返事がいけなかったんだろうか?

「無理したら出来る物もできないからね、自分の体も大事にして。」
やっぱりお兄さん、な気がする。
こういうところ。

私の兄はこんなんじゃないけど。

「はい……あともう少しで全部片付くし、あとちょっとだけです。頑張るのも」
往生際の悪い返事だろうか。
でも、私にはやるしかないのだ。
やりたいことは、ちゃんとやる。

電話の向こうで、溜息が聞こえた。
また、気を悪くしたかな。
少し、不安になる。

「……そうだね、文化祭まであと少し、か。
頑張ってね。」
こうして。じゃ、またと電話を切ったものだから
なんとなく居心地の悪さを感じる。

何か、気に障る事があったのだろうか。
あぁ、やっぱり自分に余裕がない時に電話なんかするんじゃなかった。

私はその後なかなか立ち直れずに
結局眠れずに夜を過ごした。


ちょっとした事が、こんなに不安になるなんて。



翌朝。
ぼーっとした頭を振りながら学校へ向かう途中。

「おはよ。」
後ろから、あの声がした。
「……おはよ……うございます」
部長。

「昨日はごめん。ちょっと感じ悪かったかなって思って……俺もイライラしちゃってたよ。なかなか会えないからさ」

私はうまく頭が回っておらず、ぽかんと口を開けていた。
「こうやって朝くらい一緒に行けばよかったんだよ。帰りがダメならね」

そう、ですね。

嬉しいんだけど。
ホッとしてるんだけど。

どうにも、感情がついてきてないようだった。
寝不足のせいかな。

「……そーですね、ホント、そう……」
ダメだ、今頃泣きそう。

私、バカなんじゃないだろうか。
一人で心配して不安になって。
もっと、彼のことを信じればいいだけなのに。

落ち着け、と目頭を指でつまんで押さえる。
感情的になっては、いけない。
ここで泣くのは何かおかしい。

「ところで、ホントに大丈夫?顔色悪いけど。」
彼が私の顔を覗き込む。
心の内を探られそうで、怖い。
「大丈夫ですよっ、ほら、昨日ちょっとテンパってるって言ったじゃないですか。あれこれ考えてたらちょっと寝る時間少なくなっちゃって」
「……無理しちゃ、ダメだよ。」

あ、今の言い方は優しい。
やっぱり、電話やメールより
直接会う方が誤解は少ない。

そう気付いた。
だけど。

私の余裕がないここ数日は、寧ろ一人の時間が欲しいこともあって。

貴重な通学時間まで、頭を使って会話をする行為がとてつもなく体力を奪った。

好きな人が隣にいるのに
そばにいてくれてるのに
私、どうしちゃったんだろう。





やっぱり、ちょっと頑張りすぎたのかもしれない。
欲張りはいけない。
そう気付いたけど、後には戻れない。


文化祭、前日。
「よかったー!間に合ったー!」
友達と、手を合わせて喜ぶ。
「みやのっちーマジで助かったー!ありがとー!」

皆に感謝される。
役に立てたのが気持ち良い。
自分の存在価値を確認できる。


「お疲れー!今日はサッサと帰って明日に備えるべ」
野々村が私の頭をポンポンと叩く。
この仕草、誰かと重なるんだよな……

錯覚する。

どっちがどっちなんだか。

ふと、自分が何を考えてるのか分からなくなって自嘲してしまう。
私アブないなコレ。早く寝たほうがいい。


でもそこで。
「みやのっちー、滝川が呼んでるぞー」
松田が廊下から顔を出して私を呼んだ。

滝川は、美術部の顧問だ。
何でだろう。
作品の展示はもう済ませたはずだけど。

美術室へ行くと、滝川が待っていた。
隣に、部長もいた。
「おー、宮野!いい知らせがあるぞ」
先生は私を見つけるなり手を振った。
「頑張ったな。入選だ。」

何の事かと一瞬、首を捻ったが。
「あ」
思い出した。

「……並木道だって。やっぱりあの絵は出して正解だったね」
部長も嬉しそうに言う。

やっぱり、あの絵か。
でもまさか入選なんて。
夢じゃないだろうか。寝不足だし。

「こっちの絵もよかったんだけどなー、あれの方がインパクトがあったんだろう。よく描けてたぞ」
返却された、美術室からの風景画を手渡される。
そこで、やっぱり現実かと納得する。
嬉しさがこみ上げる。

「それは展示したらいいよ。スペースあるし」
部長は壁を指差して、そう言ってくれた。
しかもそのスペースは
「え、でもここって」
「いいんだよ。そのために空けてあったんだから」

部長の絵の隣。
嬉しいけど、プレッシャーのかかる場所。

ところで、最後まで一緒に通って描いていた部長の絵が見当たらない。

「部長、あの絵は……」
指定されたその壁に絵を掛けながら私が訪ねると、後ろから滝川の声が聞こえた。
「田村の絵は、金賞だぞ。宮野といい今年の美術部はなかなか楽しみだなぁ」
先生はそれじゃ、と去って行った。

金賞。
マジか。
「……おめでとう……ございますっ!」
私は慌ててお祝いの言葉を言った。
凄い。
自分の事のように嬉しい。

あの絵は本当に凄かった。
だからこそ、世間に認められた事が嬉しさに拍車をかける。

「ありがとう。一番に麻衣ちゃんに言ってもらえて嬉しいよ」
彼がそう言った時の笑顔が、いつもと変わらなくて。
私はとても安心した。

一体、何を不安になっていたのだろうか。


「麻衣ちゃんも……おめでとう。一年生で入選なんて、凄いよ。頑張った甲斐があったね」
彼は私の髪をさらりと撫でてそう言う。
あ、この雰囲気。

久しぶりに訪れる、無音の空間に身を委ねようとして
携帯の振動に邪魔をされる。

舌打ちしたくなる気持ちを押さえてポケットからそれを取り出すと、野々村の名前。

何だよこのタイミング。

こんな時にと思いながらも、滅多に表示されない相手の名前に緊張も感じながら。
彼の顔を見る。
「……出ていいよ」
彼も同じ気持ちだったのだろうか。
苦笑して、私の肩をポンと叩く。

ごめんね、と心で思いながらも
「もしもしっ」
少し怒りのこもった声で出てしまう。

「あっ、みやのっちー、用事済んだ?まだ帰って来ねーのー。」
「あー先帰ってていいよー」
「えー皆待ってるから一緒に帰ろうぜー」
「ごめーん先帰っててよーまだ美術室だからさー」
「部活?オマエやり過ぎ。そろそろ休めよ」

コイツにまで言われてしまったか……
私は心の中でため息をついて
「うーん、今日で終わりだしねー明日はそっち頑張るからさ」
と、早々に電話を切ろうとした。
なのに。

「あ!オマエちょっと約束忘れたワケじゃねーだろな?俺今思い出した!」

約束?

え、と聞き返す私に野々村は
「あー!絶対忘れてるだろ。絵できたら見せるって言ってたじゃんか!」
「あー……そういやそうだったね。ごめんごめん」

忘れたワケじゃない。
しっかり、覚えてる。
だけど。

「実はあれさー、コンクールに出して入選したんだよー。それでさっきの呼び出し」
「マジか!それ先に言えよーオマエ飾られたら一番に俺に自慢するんじゃなかったのかよー」

覚えてたんだ。
嬉しい。

「だーかーらっ、さっきそれ聞いたトコなんだって。」
「じゃ今何してんだよ。」
「え……だからその話して、ひとつ選外で残念にも返ってきた絵を展示しようかと」

「展示?じゃーみやのっちの絵見れるじゃん。見せてー約束だろ?」

話が面倒な方向に……
隣の部長の顔をチラリと見る。
彼はだいたいの成り行きを側で聞いている。
どう思っているんだろうか、この状況。

「明日見たらいいじゃん。その為の展示でしょ」
「えー明日俺ら舞台で忙しいし時間ないかもしれんじゃん。」
食い下がるなコイツ……
ちょっと空気察してくれよ。

普段なら楽しいこの会話も
この状況では辛いものがある。

「とにかく!明日にして。」
私は早く切り上げようとした。
「じゃ今日一緒に帰ろうぜ。そうじゃないとオマエ絶対頑張りすぎる」
何この台詞。

嬉しいけど、
今ここで聞いていい言葉じゃないような。

「そんな事ないって。」
部長の前だし、変に動揺してはマズイ。
なのに。どうして彼はこうも。

「だーめ。皆待ってるから戻ってこいよ!みやのっちの荷物は俺様が預かった。じゃな」

切られた。


「…………」
絶句。

分かっていたけど。
分かっているけど。

野々村というヤツは。


部長が呆れたようなため息をついて言う。
「……なかなかの友達だね。」
「ええまぁ、昔からこんなヤツですよアイツは」
私もはー、と息を吐きながらそう答えて。
「……というわけで。荷物が人質に取られたので戻ります……」

久しぶりの、二人の時間だったのに。
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「文化祭が済んだら、また一緒だから大丈夫」
彼は優しく笑って、私の髪をもう一度撫でる。
そして。
そのまま唇を寄せ合った。

この感じ。
離れたく、ない。


だけど。


「……行っておいで。また連絡するから」
私は、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
< 33 / 102 >

この作品をシェア

pagetop