いちばん、すきなひと。
その後。
気付けば、家に着いていた。
どこを、どう帰ってきたのか覚えていない。

帰宅してすぐに、打ち上げで食べてきたから夕飯はいらないと伝える。
母親は特に気にしていないようだった。
泣き顔を見られる前に、シャワーを浴びる。

ひとりの時間が欲しいけど
イザその時間がきたら、泣いてしまう。

無心で頭からお湯をかぶった。

結局、お風呂でも涙が止まらないので
逃げるように部屋のドアを開けてベッドに飛び込む。

髪が濡れている。
でもそんなの気にしていられない。
ひたすら枕に顔を押し付けて。
声を殺して、泣いた。


こんなに悲しいくらいなら
恋愛なんてしないほうがいい。


野々村とも、これ以上近付かなくて、いい。
やっぱり、このままでいい。




いつの間に寝たのか、記憶がない。
「麻衣ー、いつまで寝てるの!休日だからってダラダラしないのよ!」

階下から母の声が聴こえて、もう朝かと考える。
どんなに辛い事があっても
朝は来る。
そして他の人たちは何事も無かったかのように普段の時間を過ごす。

立ち止まっているのは、自分だけなんじゃないだろうか。


「麻衣!いい加減に……」
母が階段を上がる音がする。
泣き腫らした顔を見られたくなくて、布団を頭から被った。
ガチャリ、とドアが開く。

「……昨日の疲れが残っててシンドイから寝させてー」

母はため息をつき、私の部屋のカーテンを全て開け放ち、外の光を入れた。

「何、調子悪いの?」
母が尋ねる。
私は布団の中から返事をする。
「……うん、寝たら治ると思う。起きたら下降りるから」

ふうん、と母が大して興味のない返事をして
「最近家でロクに食べてないからよ。ちゃんと起きたら食べなさいよ」
と、部屋を出て行った。

ホッとして。
それでもそのまま、布団の中で丸くなる。

膝を抱えて。目を瞑る。
何も考えたくないのに、目を閉じると今までの事が思い出されて辛い。

相変わらず、瞼は重い。


もう着信もメールも届かないであろう電話も
触る気がしない。


今日が休みで、よかった。




翌週。
時間が経つと感覚は麻痺するのか
いつの間にか、目の腫れも引いた。

鏡の前の顔は少し、残念な感じに見えるが
元からそんなもんだと思えば、そんな気がする。

綺麗にしようという気持ちにならない。
憂鬱な朝。
だけど、この感覚にも慣れた。

平気なフリをしよう。
そうしたら、きっとそれが自然になって本当になる。


いつも通り、学校へ通う。
教室へ入り、近藤さんと何気ない会話をする。
相変わらず、野々村と松田は私のノートをせびる。
何もかも、いつもどおり。

私はそれを、少し離れた所で見ているような感覚に陥った。


放課後、美術部へ行こうとするも。
足が重い。
胃が締め付けられる。

「……ん?どうしたーみやのっち」
野々村がぼんやりとその場に立つ私を変に思ったのか、声をかけてくる。

平気なフリを、する。
彼との距離も、このままになるように。

心を凍らせるような。

「……ううん、別になんでもないよ。バスケ練習あるんでしょ、頑張ってー」
「ん?お、おう。部活は出るけど……あっ、そうだ!絵だよ、絵!」
「絵?」
何のことだろう。

「ほら!展示してるっていってたじゃん。あれ、見てないんだよ俺。忙しくてさー」

ああ、美術部の展示か。
思い出したくない話だ、今は。

「もう片付けてるだろ?」
「多分……私すっかり忘れてた、それ」
「はぁ?オマエそれでこないだの打ち上げ遅れたんだと思ってたのに。どうなってんだよ」
知るか。
私は、それどころじゃなかったんだ。
勝手な話だけど。

「……とにかく、あれ持って帰るんなら見せろよな」

「……うん。」
とりあえず返事はしておこう。
これで話が終わるなら。


「……なあ、みやのっち、オマエ何か今日変じゃね?」
やっぱり鋭い。
何コイツ。

「……うん?気のせいだよ。気のせい。」
「……そうか?」
「そうそう、ホラ、早く部活行きなよ」
「じゃ、絶対見せろよな、約束だぞ」
「はいはい、分かりました!」
バイバイと手を振って、とにかく野々村を追い払う。

彼が教室を出た後で、はぁーと深く息を吐く。
美術部に、行きたくない。

一体どんな顔をして行けばいいのだ。
堂々とできる立場ではない。

「……帰ろ」
ひとりごちて、教室を出ようとする。
「みやのっち」
ふいに、後ろから呼び止められた。

「……加代?」
クラスメイトの一人、だ。

「……あのさ、聞きたい事があるんだけど」
変な雰囲気を感じてしまう。
何を言われるのだろうか。

「野々村とさ……ホントに友達?」

はい?

一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。

でもすぐにーーーーー理解する。
「……友達、だよ。」
また、この台詞。

自分に言い聞かせているようだ。

少なくとも、アイツは私の事を友達としか見ていない。
それだけは、分かる。
少し残念ではあるけれど。


私の気持ちは、もうこの際どうだっていい。
これ以上を、望まないから。
これ以上、辛い思いはしたくない。



胃が、痛くなった。
気づかないフリをする。


「……そう、ならいいんだけど。いつも二人仲良いからさ。ちょっと気になって」
彼女に何故、とは聞かない。
「あはは、中三の時からこんな感じだからね。何にも変わってないよ。」
そう、何も変わらない。
それで、いい。


加代にまたねと手を振って
私は家に帰った。
美術部が気楽な自由参加方式でよかったと思う。

私が少しの間部活に行かなくても、さほど問題はないだろう。


彼はーーーー何も変わらず過ごしているだろうか。
今更、私が気にしてもどうしようもないことだけど。

しばらく、何もしたくない。


家に帰って、ベッドに寝転ぶ。
ぼんやりと、天井を見つめる。

涙は、出ない。
少し、マシになったのだろうか。




それから一週間。
私は部活を休んだ。

どうにも、足が重くなるからだ。

このままでは駄目だと分かっている。
だけど、自分のした事を思うと
どうしても平然と部活に行く気にはなれない。

そもそも、絵を描く気力がない。




ぼんやり過ごしている間に
カレンダーも残り一枚になった。
あと少しで、一年が終わる。

「早いなぁ……」
ひとり呟く。
昨年の今頃は何してたんだっけ。

思い出せない。
なんとなく覚えているけど、それを鮮明に思い出す事すら、頭が拒否している。


ぼんやりと、空を眺める。
白い空。


「……おい、聞いてるか?」
ふいに後頭部にチョップをくらう。
「何?」
慌てて振り返る。

「何ボヤっとしてんだ。」
野々村だった。
気づけば、放課後だった。

「……あーごめんごめん。ボーッとしてた。で、何?」
「絵、いつ持って帰んの?」
しつこいなコイツ。

「あー……どうしよっかなー」
部活に行ってないので、もちろん持って帰れるはずがない。

「だって重いじゃん、荷物になるし面倒でさー」
あはは、と笑って誤魔化そうとしたが
「んじゃ今日な。俺の練習ないからチャリに積んで帰ろうぜ」
私の肩に手を置いて、もたれかかるように体重をかけて顔を近づける。

「え……?」
「後ろに乗せて、押して帰る。決まり。」
「ちょ、何勝手に決めるのさ。私今日は……


部活に出る気にはなれなかった。
かと言って、いつまでもサボる訳にもいかない。

「何?予定あんの?」
「……ない……」
「じゃ、決まり。」
どうしよう。

私が悩んでいる間にも、野々村は私の首根っこを掴み、美術室へと歩いて行った。

「ホレ。入れよ」
「…………」
野々村に背中を押され、渋々美術室のドアを開ける。

「……こんちはー」
「あら宮野さん、久しぶり。」
「みやのっちー!」
先輩や友達が笑顔で迎えてくれる事にホッとした。

そしてーーー部屋の隅にいる彼を見る。
「……久しぶりだね」
「すいません、なかなか来れなくて。」
まともに目を見れない。
余所余所しい空気が、胸に刺さる。
苦しい。
それだけで、泣きそうになる。

「……今日は、参加できるのかな?」
彼は相変わらず優しい声で聞く。
それが更に悲しさを倍増させる。
駄目だ。
私がこんなんじゃ。

「すいません、今日もちょっと出られないんです。体調悪くて。」
「大丈夫?」
部長の後ろから、友達も心配して顔を出す。

「……無理しなくていいよ、今はマイペースでそれぞれ好きに過ごしてるし。ゆっくり休んで……また来たらいいよ。」

なんて優しい人なんだろう。
この人を、傷付けた事が
本当に、悔やまれる。

だけど
「はい。明日は……来れると思います」
いつまでも引きずってはいけない。
それもまた、彼に対する礼儀のような気がした。

「そう、それじゃまた明日……」
「あっ、部長。文化祭の展示作品って持って帰っていいですか?」
今、やっと。
少し普通に声が出た気がする。

「うん、いいよ。奥に置いてあるからいつでも持って帰って」
「ありがとうございます」
最後の言葉に色んな気持ちを込めて。

少し、楽になった。
もう、大丈夫。


絵を抱えて部室を出てきた私を見て
廊下で待っていた野々村は
「おっ、何かいい事あった?」
と、聞いた。

「まぁね、それより……ありがと。」
素直に、礼を言った。
彼がここまで押してくれなきゃ
私はずっと、ここへ来れなかったかもしれない。
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