いちばん、すきなひと。
いてくれて、ありがとう。
美術室から、教室に戻る。
既に皆帰ったようで、誰も残っていなかった。
「そんなに期待して見るモンじゃないんだよ」
一応、そう前置きして。
持っていたキャンバスを見せた。

「……おーっ、すげぇ。……」
野々村はそう言って、じっと私の絵を見つめた。
「これってさ、何回も色を塗って重ねたりするワケ?」
「そうだよ。少しずつね」
「へえ、ホントすげえなぁ。カッコイイわ、みやのっち」

素直に、嬉しい。

野々村がそんなに食いついて見るとは思わなかった。
彼に認めてもらえる事が、誇らしかった。

「入選した絵ってのは何処に展示されてんの?」
「そういやどこだろう?」
先生に聞くの忘れた。

「オマエなぁ……」
はぁー、と大げさにため息をついて
「せっかくだから見に行けばいいじゃん。他所に飾られてるのってまた違うだろ。」
簡単に言うねこの人は。

「うーん、機会があれば聞いてみる。そのうち返却されるからいいかなと思ったんだけど」
「近場だったら一緒に見に行こうや」

わ。
誘われた。

思わず、ドキッとする。

「マジ?一緒に行ってくれるの?」
「俺が見たいもん。結構美術館とか行くの好きな方。」
「へえ、意外だわ」
「そうか?俺様は何処にいても似合うと思うんだけどな」
「……さようでございますね」

くだらない会話をしながら、一緒に帰る。
自転車に絵を乗せてもらって。

ついこの間まで、部長と歩いたこの道。
色んな事があった。
一人で帰るのはまだ少し辛かっただけに、
今日のこの存在はありがたかった。






翌日。
部活に出る前にそれとなく、顧問の先生に訪ねてみる。
少し電車に乗らなければならないが、さほど遠くではないようだ。

行ってみようかな。

少し浮き足立って、職員室を出る。
「あっ、みやのっちー」
野々村が向こう側から来るのが見えた。

「今から練習?」
「おー、外走ってくるわ。」

練習着の彼は、いつもと違う雰囲気で
見惚れてしまう。
バスケ部がモテるのも分かる。
少し早くなる動悸に気付かないフリをして
さりげなく、誘ってみた。

「そういやあの絵。さっき先生に聞いたら、中央美術館に展示されてるんだって。」
「あー中央美術館な、近いじゃん。」
なるほどね、と彼は頷いて。
「今度の土曜日ならさー俺、暇だし。行こうぜー松田にも声かけとくわ」
そうか、そうだよね。
二人では、ないよね。

何を期待したんだか、と心で軽く笑って
野々村によろしく、と手を振る。


私ったら何やってるんだろう。
もう、あんな思いはしたくないから
期待もしないしこれ以上求めないって決めたのに。

野々村との距離感が、分からなくなる。



練習着から見える、逞しい筋肉質の腕や肩。
いつもより大きく見える彼に、男を意識してしまう。
そんな彼の背中を切ない気持ちで見送って
私は頭を振り、美術室へ向かった。




久しぶりの美術部。
行ってみると、案外何も変わらなくて。
皆に部長との事を知られずによかったと改めて思う。

そして。
普段通りーーーというのがどれ程なのか、まだ理解できないのだけれども。
少し寂しい、冷たい距離の部長も
何となく、こういうものかと納得した。

何も変わらないように、配慮してくれる
彼の優しさに感謝して
私は、まだあまり気力の湧かない頭を動かし
次回作のアイデア出しに集中した。




時間というものは、少しずつ心を癒してくれているのだろうか。





土曜日。
野々村の勝手な宣言通り、駅前で待ち合わせをする。

私は何をやっているんだろう。
何ソワソワしているのだろう。

少しでも可愛く見られたい、と足掻いてしまう自分が恥ずかしくなった。
今更、彼に何を見せるというのだ。
何も変わらないのに。

それでも。
休日に、誰かと出かけるというのは
非日常な気がして。
つい、ときめいてしまうのだ。


「おはよー」
野々村が、予定通りにやって来た。
一人で。
あれ、と違和感を感じて
「おはよー、松田は?」
とすぐに聞いてしまう。

「……あいつ、今日予定あるんだって。仕方ねーから二人で行こうぜ。」
そうなんだ、と納得しながらも
棚ぼた的なこの状況。
松田よありがとう!

これ以上は望まないけど
やっぱり二人の時間は素直に嬉しく、淡いドキドキ感がくすぐったい。

何もないからこそ、楽しめるのかもしれない。
きっと、このくらいが丁度いい。


それを願う私は、卑怯だろうか。


二人で電車に乗り、美術館へ向かう。
やっぱり相変わらずテンポのいい会話に、昨年と変わらない距離に、安心する。


館内に入り、色々な作品を見て歩く。
二人で会話もなく静かに
それでも、何の違和感もないのが気楽だ。
こんなのが、いいな。

そして
自分の作品を、みつける。
「あった……」

『入選』の文字に優越感を得る。

「……やっぱ、こっちのがすげーや。」
野々村はそう言ったきり、私の絵の前で足を止めてしまった。

夕暮れの並木道。
赤からオレンジ、さらに青空にまで広がるグラデーションの空の下に、紅葉した木々が並び。
その下にーーー二人で歩くシルエット。



自分の絵だけど
見ると色々思い出して切なくなる。


「……これ、誰と誰?」
からかうように、野々村が言う。

「見る人の自由。色々想像できていいでしょ」
そう、自由だ。


私にとっては、もうそれが
誰と誰なのか分からない。
どっちでもいいし、誰でもいい。


あの時はどうだったか、なんて
もう、忘れた。
そういう事にする。



それでもまだ進もうとしない野々村を置いて、私はとなりの絵を見ーーーー
「これ……」
息を、飲んだ。


部長の絵。


金賞だと聞いてはいたけど。
まさか、こんな所に。


何の巡り合わせなのか。
私の絵の隣だなんて。



そしてあの時、美術室で見せてもらった絵が、堂々とした威圧感と雰囲気を持ち、飾られている。
共に通い、描き上げたそれは
私の心を鷲掴みにする。


彼の絵は、やっぱり好き。
そして。彼の事もーーーー


二人で過ごした時が、頭をかすめた。
涙が出そうになる。
喉に力を入れて堪える。


ふいに襲ってくるこの波にも馴れないといけない。
ふとした時に蘇る、鮮明な記憶。
あれは、はじめての恋だったのかもしれないと、気付く。

無くして初めて、その大切さに気付くって
こういう事なんだろうか。


だけど
それを手放したのは、自分。
不甲斐ない、自分。

今、隣にいる彼との時間も
大切だから、と。

最低な自分を晒した上で、あの人から離れた。



「……これ、ウチの学校じゃん。誰の?」
隣に立つ彼の声で、現実に戻った。

「……ウチの部長だよ。」
感情を悟られないよう、静かに答える。

「へえ」
そう呟いて。隣の彼もまた
じっと目の前の絵を見つめた。

「……凄いな。高校生がこんな絵描くんだ……」
私と同じ感想を言った彼に、すごく驚いた。
「この人の絵、好きだわ。なんか……惹き込まれる」
その言葉に、少し癒された。

「うん……凄いよね」
こぼれそうだった涙も、いつの間にか乾いた。
野々村の存在が、ありがたい。


私のすきだった人の、絵なんだよ。
だけど、私は
キミの事もすき、なんだよ。


目を閉じて、こころで呟いて。


隣の彼の、手を繋ぎたい気持ちを
必死で押さえた。
私は、これ以上望んでは、いけない。
きっとまた、悲しくなるから。


私には彼の側にいるその資格すら無い、と思う。


どうして。
こうして、すぐ側にいるのに。
遠く感じて、切なくなるのだろう。


ああ駄目だ。このままじゃ
なんでもないフリをしなければ、いけない。

私はゆっくりと瞬きをして、気持ちを切り替えた。



帰り道、印象に残った絵の話で盛り上がる。
こんな話ができるとは思わなかった。

自分でつけた
心の傷は、まだ痛いけど
少しだけ、治まりそう。

駅前で、それじゃと言おうとしたら
「俺の帰り道もそっちだろ」
と、自転車を押して一緒に歩いてくれた。
私の家の前で、あらためて別れる。

「……ねぇ。」
「ん?」
「……今日はありがと」
「……おう。」


少しだけ。素直になる。
それが、私の今できる精一杯のこと。

彼は絶対、振り返らない。
それを知ってて、
私は彼を、見送る。


その日の夕空も、絵に描きたくなるほどに
切なく、美しかった。
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