初恋にふさわしい人を待っている。
「以上で授業を終わります。放課後、数学係は全員分のノートを持って来てください」

数学係、と言われてどきっとした。確か数学係って…

「私だ……」

もう一人の係を探すが、席はもぬけの殻だった。一体どういうことかと考えていると、隣の席の男子が教えてくれた。

「あいつなら午前中に帰ったよ」

「そうなんだ…ありがとう」

私一人でクラス全員分を集めないといけないのかと思うと、気分が沈んだ。帰りのホームルームは、秋月先生の忘れ物をしないようにしてください、の呼びかけで終わった。

さっき言われたのにもう忘れている男子が勢いよく教室を出る前になんとか集めないといけない。でも前に立つのは恥ずかしい。そうこうしているうちに皆帰りの支度を整え始めた。

「あ、の、数学のノートを……っ」

がやがやと喧しい教室には、私の声なんて全く響かなかった。羞恥心が襲い、声が萎む。

「皆さん、数学のノートを出してください。それから気をつけて帰ってくださいね」

叫んでいるわけでも別段大声を出しているわけでもないのに、教室が一気に静まり返った。はっと教壇を見ると、秋月先生が微笑みを携えている。

「忘れてた!先生サンキュー」

「数学係さんよろしく」

皆口々にノートを提出し、あっという間にほぼ集まった。

「秋月先生さようならぁ」

「ばいばーい」

「はい。さようなら」

女生徒の挨拶に、先生はひらひらと手を振っている。最後の一人がいなくなると同時に、先生の顔から微笑みが消えた。

「こういうのは要領良くやれよ」

「はい…すみません先生…。ありがとうございました」

失敗したところを見られてしまって恥ずかしいやら情けないのと、助けてくれて嬉しいのが混ざって、感情がぐちゃぐちゃだ。

「次は、先生に迷惑かけないように頑張ります」

先生の目を見ることができなくて、集められたノートに視線を落とした。自分の分も取り出し、ノートの数をチェックしていく。

「ふぅん、ちゃんと数えるんだな」

いつの間に傍まで来ていたのだろう。驚きすぎて声も出なかった。

「そういう事を疎かにしない子は好き」

「えっ…?」

先生の突然の発言に、手からノートが一つ滑り落ちた。

「おっ、と」

すかさずキャッチした先生が私にノートを差し出す。そんな姿でさえも様になっていて、心臓が大きく脈打つ。

でも次の瞬間、私はからかわれたんだと理解する。先生の表情がそれを物語っていた。

「…ありがとうございます。提出して私ももう帰ります。さようなら」

「はい、さようなら」

私の動揺なんて見抜かれているとは思うが、それでも抵抗したかった。何とも思っていないふりをしたかったのだ。

教室を出る寸前、先生を見るとにこやかな笑みでこちらに手を振っていた。頭を下げ、前に向き直るとぐしゃっと顔が歪んだ。

「挨拶は皆と同じかぁ…」

引き止められるなんて高望みはしていないけれど、せめて言葉を変えて欲しかった。皆と同じ定型文じゃ寂しいよ、先生––––。

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