Prologue
わたしだって知りたいと、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
わたしの記憶の隅に彼がいたわけではない。
彼の存在なんて知らなかったはずなのに、どうして彼にだけわたしが視えるのか。
「ああ、そういえば、」
彼がふと、思い出したように呟いた。
一度彼からそらしかけた視線を、再び彼の方に向ける。
「名前」
ポツリ、とこぼしたような言葉。
目線だけ、一度わたしの方に向いて、それからまた川の方へ戻っていく。
わたしは「あ、」と声を上げた。
「カヨ」
自ら名乗るのも、随分と久しぶりな気がした。
自分の名前が自分の口からこぼれた、違和感。
彼は確認するように、「カヨ」と呟いた。
誰かがこうしてわたしの名前を呼んでくれるのも、久しぶりかもしれない。
大嫌いな自分の名前も、彼が口にするとどうしてか綺麗に思えた。
彼の声は、やっぱり心地が良い。
「俺は、マオ」
彼が、名乗る。
わたしも彼と同じように、「マオ」と呟いた。