社長は今日も私にだけ意地悪。
だけど数秒後、我に返って何とか彼を両手で突き放す。
そして。


「……帰ります!」

目を合わさずにそう告げ、私は彼に背中を向ける。


「おい、待てって」

そう言ってついてくる彼。
待てって……何でそんなことが言えるの。何で待たなくちゃいけないの。


「秘書の方に、悪いと思わないんですか?」

我慢出来なくて、言いたくなかったことを背中越しに放った。


「え? それは……まあ少しは悪いと思ってるが」

何それ。酷すぎる。恋人を何だと思っているの?


「でもまあ、美咲(みさき)なら許してくれるからさ」

その言葉を聞いて、私の胸が新たにズキンと痛む。

美咲。そんな風に名前で呼ぶ関係なんだ。

私、今まで社長から〝芽衣〟って呼ばれていたこと、戸惑いながらも本当は嬉しかったし、どこかで浮かれていたのかもしれない。名前で呼ばれているということに、勝手に特別感を抱いていた。
でもそんなの、社長にとって何の意味もないことだった。

先日の、とても仲の良さそうだった社長と秘書の光景を思い出す。
あの二人は、社長が他の女にキスをしても許せるくらいの深い関係なんだ……。入り込める訳がない。


……彼に誘われたことが嬉しくてのこのこついてきてしまった私が言える立場じゃないけれど、やっぱり社長は最低だ。
意地悪だけど、本当は優しくて素敵な人だと惹かれていた。
でも違う。性格が悪くて、最悪な人だ。

私は立ち止まって勢い良く振り返ると羽織っていたジャケットを肩から外し、目は合わさないままそれを彼の胸元に押し付けるように返す。
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