ワンだふる・ワールド ~飼育系女子の憂鬱な1週間
入れ替わりにベリーベリーの二人が部屋に入る。
外で待っている間、シェパードは空を見上げていた。
その胸中には、何が去来しているのだろう。
ふと先ほどのシェパードの提案が気になり、沙希は問いかける。
「あの、部長
最初のあの提案には
何か意味があったんですか?」
不意に声を掛けられたシェパードは、「ん?」とこちらに気を向けた後で、
「この商談はうちの勝ちだ」
と確信したように言った。
「や、あの…」と困惑する沙希に違和感を感じたのか、「何を訊いた?」とシェパードが聞き返す。
沙希が同じ質問をすると
「あ~、あれは試したんだよ。
鷲尾がどう反応するのか、をね。
ほら、鷲尾と亀井は一緒に来ただろ?
何か、臭ったんだ。
裏で何かしてんじゃないかって。
でも、亀井に確認していた。
ということは、だ。
偽情報が亀井に伝わっているはずだ。
だから、うちのプランが勝つ。
あいつが亀井に訊くこともせず
独断で変更を認めなかったら、
うちに勝ち目はなかった」
あの提案にそんな駆け引きがあったとは…。
やはり、シェパードは仕事に関しては「デキる男」なのだ。
こと恋愛に関しては、ズブの素人なのに…と内心後ろ指を指してみる。
「なるほど~ そういうことだったのかぁ。
じゃ、ベリーの案は…」
と言いながら部屋の方に振り返ると、ちょうど部屋の中から亀井の甲高い声が聞こえた。
「や、会長~、
それは一方的じゃ…
いや~、この場でと 言われましても…」
明らかに苦しい交渉を迫られているといったセリフが聞こえてくる。
その直後にものすごい勢いで襖が開いた。
「ならんと言ったらならん。
そんな扱いをされるんだったら
わしはWAONでいく」
「や、そこを何とか…
鷲尾会長~
ご理解いただけませんか~?」
「理解しろだとぉ~
亀井、今回は無理だ」
冷たく突き放す土佐犬に、亀井はガックリと肩を落とし、シェパードに一閃睨みを利かす。
その視線から察するに、ハメたなと訴えているようだ。
まぁ、それも無理はない。
彼らはうちの偽情報を掴まされたのだから。
口外することができるはずもなく、亀井は唇を震わせながら、その場を立ち去った。
ハスキーも沙希を一瞥すると、亀井の後を追っていった。
「さあ、中へ入れ」
土佐犬に促され、また部屋の中へと戻る。
「座ってくれ」
言われるがまま、二人は元の椅子に座った。
「大和、ありがとう。
お前が社内でがんばってくれたことは
十分伝わった。
礼を言う」
土佐犬は柄にもなく、恩義に感じしているようだった。
いや、ひょっとしたら、これが本当の彼なのかもしれない。
シェパードは当初、筋を通す人だと言っていた。
ただ癖があるとも。
私に対して、悪びれた態度を取っていたのは演技だったのかもしれないと沙希は思った。
「いえ、
私は私の仕事をしただけです」
シェパードの口調はまだ固かった。
まだやらなければならことが残っている。
彼の視線がそう言っている。
「大和、
今回の件
割合はお前の好きにしていい。
独占でもかまわんぞ」
「いえ、うちは独占は結構です。
会長の立場もあるでしょうし、
ベリーとの付き合いも
今後に遺恨を残すことに成りかねません」
風呂敷を広げる土佐犬に、シェパードは丁重に断りを入れた。
ひょっとしたら、私への交渉の駆け引きをしてくれているのかもしれない。
この何気ない会話の中にも、重い空気が流れている。
固唾を飲んで、言葉を発する方へと交互に視線を送った。
「そうか、わかった。 じゃ、わしが割合は決めるとしよう」
「ところで、
鮫島さんは腕のケガは治りましたか?」
「鮫島のケガ?
あいつがどうかしたのか?」
土佐犬は本当に知らない様子に見えた。
が、シェパードは視線を外さない。
「あなたが指示したのではないんですか?」
「何を、だ?」
「知らないのなら、
あなたにこれ以上訊いても無駄だ。
今の質問は取り消してください」
「いや、そういうわけにはいかん。
話してもらえんか?」
何やら勘づいた土佐犬の頼みに、フゥと溜息混じりに一呼吸入れて、シェパードは結果だけを突きつけた。
「昨日、鮫島は
彼女を拉致しようとしたんだ」
土佐犬が驚き、一瞬眉が吊り上ったが、ゆっくりと力をなくした眉が下がっていく。
何かを理解しガッカリしたのか、一瞬で年老いたような落胆の表情を見せた。
「それで…」
どうなったのか?と訊こうとする土佐犬を遮り、シェパードが結論だけをいう。
「連れ去られる直前に
俺がなんとか食い止めた」
「鮫島からは
数日休暇をほしいと頼まれてな。
まぁ、あいつだって事情があるし
別に構わんと許したんだがな。
まさか、そんなことがあったとは…」
土佐犬はそういうと、沙希の方へ体を向け、
「本当にすまなかった」
こちらが恐縮してしまう程に深々と頭を下げた。
「あなたの指示でないなら、
謝らなくていい」
シェパードの上下する胸が落ち着き、荒い息も収まっていた。
「武士、」
そう口から出て、土佐犬は「あっ」と言葉を止める。
公私混同はしないはずが、つい出てしまったという感だ。
「そのまま続けていいよ。
彼女は知ってる」
シェパードの言葉に状況を把握できたのか、土佐犬は「武士、」とまた呼んでから続けた。
「わしがそんなことを
指示するはずがないじゃないか」
「じゃあ、何で…」
沙希の面前というのもあるのだろう。
カッとなったシェパードが土佐犬に噛みつこうとするが、ギリギリのところで理性は保たれたようだ。
が、言葉は発せずとも、鋭い眼光は土佐犬を捉えて離さない。
「武士、そんな眼を向けるな。
といっても無理か。
お前に話さなければならない話がある。
少しだけ黙って聞いてくれ」
シェパードは返事をしない。
構わず、土佐犬は深い息を吐くと、話を始めた。