ショコラの誘惑
 脳裏に真司の同僚の一人の顔が浮かんだ。

 その彼は、いつも私と彼を面白可笑しくからかい、この堅物真司を翻弄させる事の出来る、ただ一人の存在。決して悪意は無く、あまり友達の多くない真司にとっての、いい理解者でもあるが。

 たぶん彼も同じ人を思い浮かべただろう。鬼畜眼鏡と皆に恐れられている彼の机の引き出しを、勝手に開けて中を物色して勝手に所有物を食べてしまうなんてあの人しかいない。


 地獄から天国――――そしてまた地獄。


 何ていう日なんだろう、今日は。もしかして私と生ショコラの相性は、絶望的に悪いのではないだろうか……

 たった一個残された生ショコラを前に、私のウキウキをした気持ちは完全に撃沈。


「仕方がない、最後の一つを極上の生ショコラにしようか」

「――――え?」


 その言葉に真司を見上げると、彼は私の手にある箱から、最後の生ショコラをひょいと自分の口に入れる。

 そしてそのまま、私に唇を重ねた。

 驚いているうちに真司の舌が生ショコラを私の咥内へ押し込む。彼の舌は私と生ショコラへ絡みつき、2人の熱であっという間に溶けてしまった。

 生ショコラが無くなり、彼は名残惜しそうに唇を離すと、茫然としている私を見つめながら言った。


「極上だろ?」


 真司の柔らかい感触の残った唇が、まだ熱い。そして口の中は広がった生ショコラの甘さと――――彼の甘さで痺れている。


「あいつには後できつく報復をしておくよ、蘭。バレンタインのチョコ、ありがとう」


 真司はそう言いながら、まだ夢の中にいるようなふわふわした感覚の私の鼻先に、もう一度キスを落とす。

 鼻先の彼からまた、ふわりと生ショコラの香りがした。










【おわり】
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