月が綺麗ですね
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徹さんを極力避けたとしても仕事に支障はなかった。私の他に飯塚さんと言う立派な秘書がいるのだから。その分飯塚さんの負担が増えてしまったけれど、もともと彼女はひとりでやっていたのだから、あまり気にした様子も無かった。

そして数日が過ぎていた。


その日、深夜残業を終え、私は明かりの落ちた暗い廊下をひとりで歩いていた。

飯塚さんはまだ仕事をしている。


「お疲れ様でした」声をかけて退室する。


正面玄関は施錠されているため、社員通用口から帰ることになる。


「まだ残っている人に配慮して、廊下くらい照明つけといてくれてもいいのに」


非常灯が照らす廊下には、コツコツと私のヒールの音だけが物悲し気に響いていて、少し薄気味悪い。



通用口は地下一階。

私はエレベーターに乗り込むと、ゴンドラが降下していくのを感じていた。


すると、途中の15階で”チン”と音をたてて止まった。


ここには以前来たことがある。徹さんが私のために無理矢理スーツを三着奪った、衣装サンプル管理課がある。


西山さん元気かな?

私はあの後、西山さんに謝りに行ったっけ。


『副社長命令だもの。あなたのせいじゃないわ。でもこんなこと初めてよ』


それ以来、私は西山さんと廊下ですれ違うたびに、一言二言ことばを交わす間柄になっていた。
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