優しいスパイス
もしかして、怒っているのかな。

それとも、呆れてるんだろうか。



ただでさえ無表情な彼の感情は、視線を伏せているせいで、余計に読み取れない。



ドクドクと鼓動が脈を打って、胸の奥が苦しい。



沈黙を打ち消したくて、拳を握りしめた。



「違い、ます。たまたま、ここに用があって」



言いながら、きっと彼にはこんな嘘通用しないんだろうな、なんて考えていた。



私の言葉に彼が視線を上げて、切れ長の瞳が私を見透かす。



ドク、と血液が体の中を流れる。



私の嘘を読み取ったのか、ふ、と短く息を吐いた彼は、視線を逸らし、ポケットに手を入れて黒いスマホを取り出した。



それを耳に当てると同時に、プルルルル、とコール音がスマホから漏れ聞こえる。



数秒続いた後、相手が出たのかコール音はパタリと止んだ。



「悪い。急用が出来た」



それだけ言って、彼はスマホを耳から離した。



相手の応答を聞く暇があったのか疑わしいぐらい素早くスマホはポケットにしまわれる。



その流暢な動作に目を奪われていると、彼の視線がもう一度私に向いた。



「コーヒー好きか?」



意図のわからない質問を投げかけられて、言葉の意味を脳が理解する前に体が頷いていた。



彼の無表情が僅かに緩む。



「奢る」



短く、低い声が落ちる。



意味を理解しようと、鉛のように重たくなった思考を動かしていると、彼が「こっち」と背中を向けて歩き出した。



意味を理解しないまま、体だけが勝手に、彼のあとをついていく。



まるで催眠術にでもかかったみたいに、彼の背中だけを見つめて前へ進む。
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