優しいスパイス
「は、」



肺が苦しくなって短く息を吐き出した。



喉の奥がヒリヒリと痛い。



なに、それ。


なんだ、それ。




地面にくっついた足裏を引き剥がして、ヨロリと地下通路に足を踏み出す。



重力に引っ張られて、体が重い。



勝手に足だけは、前へ進んでいく。




耳が膜に覆われたみたいに、周りで行き交う人々の騒音が、ぐわんぐわんと混ざって頭の中で反響している。






彼は、コーヒーが飲み終わるのを待っていてくれた。


私が焦らないように、自分もまだ飲んでいるフリをして。







──“俺は、いい人間じゃない”




違う。彼は優しい人だ。



初めて会った時からずっとそうだったんだから。





そう訴えるのに、彼の冷えた視線が脳裏に浮かぶ。










──“もう、俺を見つけても近寄るな”










急にハッとして立ち止まり振り返った。






一気に周囲の音が鮮明に聞こえ始める。




「やだあー、たっくんたらあー」

「部長、今日はありがとうございました」

「ねーねー今度はここ行こうよ!」




それぞれの世界が渦巻く地下通路。



取り残されたように、不安が込み上げる。




さっきまでいた店の前。行き交う人々の中。




後ろだけではなく、ぐるりと一周。




だけど。





「……いない……」




もう、どこを見渡しても、彼の姿は見つからなかった。
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