優しいスパイス
偶然ここはひと気のないフロアらしく、静かな空間に自分の嗚咽だけが響いている。



案外、泣くことだけに集中した方が、無駄なことを考えずに済んで楽なのかもしれない。


そんなことをふと思った時。




「紫映! どこ!?」



少し遠くの方から、私の名前を呼ぶ香恋の声が響いた。



スッと頭に乗っていた温度が離れて、涙を押し出し続けていた涙腺がピタリと動きを止める。



顔を上げて辺りを見回すと、ここは誰もいない最南端のフロアだった。



右側に延びている廊下の向こうには、人影がパラパラと小さく見える。



「紫映ー!」



香恋の声がさっきよりもハッキリと聞こえてきて、慌てて濡れた顔を袖で拭った。



タンタンタンタン、と駆け足で正面の階段を降りてくる音。



この足音が、香恋なのかもしれない。



どうしよう。


見つかる。



今、香恋には会いたくない。



こんな顔で、会えない。






「こっち」



低い声に振り向くと、いつの間にかエレベーターの前に立っていた彼が、促すように私に視線を向けた。



タイミングを見計らったかのように、スーッとエレベーターのドアが開く。



戸惑いもなくそれに乗り込んだ彼が、立ち止まったままの私を振り返って、早く、と言いたげな顔で私を見た。



タンタンタン、と階段からは足音が近付いてきている。



ハッと固まっていた足を解いて、彼の乗っているエレベーターに乗り込んだ。



勢いのあまり近付き過ぎた彼との距離を保とうと、サッと背中を向けると、ちょうどエレベーターのドアが閉まっていくところ。




「紫映どこ? お願い、話を――」



少し震えている香恋の叫び声が、ピタリと閉まったドアによって遮断された。



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