拘束時間   〜 追憶の絆 〜
 手ぶらで行く場所もなく、どうすることもできずに私は再び。砂の城と化した、あの男(ひと)のいる部屋へ戻ることにした。

 だけど、それは決別のためだった。

 私を追ってきた時、彼は何の躊躇もなく。私の名前を呼んでいた。

 それなのに、私は彼の名前を呼べない。

 そんな私達の関係が苦くて切ない。

 一緒にいても辛くなるだけ......。

 まるで暗い海の渦巻きを見つめ続けているように。ずっと彼とのことを考えていたら下に降りてきた時よりも早く、エレベーターは43階に到達した気がした。

 エレベーターの扉が静かに開いて緊張が走る。

 彼と、どんな顔で会えばいい?

 なんと言えばいい?

 長い廊下は水を打ったように、シーンと静まり返っていて。緊張で激しくなった自分の心臓の鼓動が響いて、私は誰かに聞かれていそうでビクビクしていた。

 そんな戦慄に耐えながら、ようやく部屋の扉の前までたどり着いた私は震える手で恐る恐るドアを開けた。

 用心しながら一歩、一歩足を踏み入れてリビングを目指す。

 この時点で彼の姿は無い。

 やっとの思いでスマホを手に入れて、胸をなで下ろしてると、

 「おかえり」
 
 突然、後ろ背に聞こえた声に身体がビクッとなった。

 考えるまでもなく。後ろを振り返ると彼の姿があって、彼はとても疲れていた......。
 
 随分と長い時間、私をあちこち探しまわったのだろう。

 額に汗が滲み、髪は洗いざらしのように襟足が濡れていた。


 私は彼に何と応えればいい?

 「荷物、取りに来ただけだから......」
 
 「ここに居て。お願い」

 別れの言葉とも言うべき私の返事に、彼が怯むことはなかった。

 それでも、私は大きく首を横に振った。

 「沙綾は、ここに居て。絶対に......!」
 
< 95 / 136 >

この作品をシェア

pagetop