蚤の心臓
吉祥寺で井の頭線に乗り換えても、車両はガラガラに空いていた。
やはり彼は2人分の席に座って足を投げ出して、普段なら絶対にしないような態度の悪さのままだったけれど、それでも私の方を見て少しだけ笑ってくれた。
 
「おまえは呼んだらどこにでも来るんだね」
 
そう、一言投げかけられた。
 
どこにでもというわけには勿論いかない。
私が1人で御嶽駅まで行けないことは犀麦だって分かっていたのだろう。
だから、無理のない範囲内でそれでも遠い立川を指定したのだろう。

返事に困りながら私が笑い返すと、「ほらまたそうやって誤魔化す」と彼は鼻を鳴らした。
ありがとうという言葉を聞きたかったわけではけしてない。
彼に恩を売っておきたかったわけでもない。
けれど、私が来たことに対して彼は別に喜んでいないのではないだろうかと少しばかり不安になった。呼び出されたから素直に来てみたけれど、本当は来ない方が良かったのではないか、真に受けたらいけなかったのではないか。
そんな不安が今さら込み上げてきていた。今からでも帰った方がいいかなとか本当は迷惑だったのではないかなとか。
 
彼の方から呼び出したのだからその心配はお門違いのはずなのだけれど、それでもどうしても、彼の態度に委縮してしまった。
大変だったんだよね、お疲れ様。そう声をかけて彼の手を握り直した。
それでようやく彼も私の委縮に気が付いたようで、「ごめん」。
ようやくその一言が零れてきた。
 
謝らせたようで気分が悪かった。けれど、自分の不安を身勝手にも取り除くことはできてしまった。
「ぼく、めちゃくちゃカフカちゃんに甘えているなって、今日御嶽で過ごして痛感した。仕事の時とかもだったんだけれど、何か嫌なこととか本当に不愉快なこととか結構あると、カフカちゃんのことばかり考えて、カフカちゃんがぼくにとって逃げ場所っていうか。可愛い彼女がいるっていうの、失礼だけれどぼくにとってステータスなんだ」
 
分かっていたことを言われて、別に驚きもしなかった。ショックでもなかった。だろうなあってそれだけ。
 
「恋じゃないから、愛していなくてごめんね、カフカちゃん」
分かっていたよ、勿論。ずっとずっと、愛されているなんて実感は少しも湧かなくて、でも愛されたいとも大して思えなくて、ただ愛されていなくても構わないからこんな日が続けばいいと思っていた。
それを口に出したらいけないような気がして黙っていたけれど。

「分かってる」
そう言ってしまったら、鼻の奥がツンとした。

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