誘拐日和
――この男に捕らわれた時のことは、今でも全部覚えている。
私には彼氏がいた。大野 律――ひとつ歳上で、大学のサッカー部でキャプテンを務めている優しいひと。律の練習が終わるのを待って、いつも一緒に帰っていた。
あの日は偶然サッカー部の練習が休みだったけれど、私はちょうどその日の実験が長引いていて、でも帰宅する前に図書館へも寄っておきたくて。待っていようかと言ってくれた律の誘いを断って、私はひとりで帰宅した。
――突然私の口許を覆ったハンカチ。鼻をさすツンとした匂い。染み込んでいたクスリ。
その時の感情は、とても言葉で表せるようなものじゃない。私は一瞬で意識を失い、気がついた時にはヒソカの運転する車に乗せられていた。
あの時、いつものように律に送ってもらっていれば。
あの時、近道だからと人気のない裏道なんて通らなければ。
ヒソカはきっと、こうして私を閉じ込めることは出来なかった。