冷たく、熱い、貴方の視線
「で? 今度はなに?」
吉澤先生の視線は私ではなく、デスクに置かれたテスト用紙だ。
採点の最中だったのだろう。忙しいときに声をかけてしまったようだ。
申し訳なくて、「後でいいです」と小声で言ったのだが、吉澤先生は大きくため息をついて採点している手を止めた。
「言いかけたことでしょう? 言いなさい」
「へ、へい!」
慌てて返事をしたので、舌を噛んでしまった。恥ずかしくていたたまれない。
カッーと身体中が熱くなっていくのがわかる。
ここで一緒に笑い飛ばしてくれれば、笑っておしまいで済むのだが、相手が吉澤先生だとそうはいかない。
「ほら、早く本題を」
相変わらず冷たい視線を向けられ、恥ずかしい気持ちが恐怖に変わる。
オズオズと吉澤先生の前に差し出したのは、とある冊子だ。
我が校では毎年改稿をし、新しい冊子を作ることになっていると言う。
今年で十刷目だというこの冊子は、男子校ならではの内容だ。
この学校の半分以上の生徒は、社会に出て行くことになる。
そこで社会に出てから困らないように、色々なアドバイスを示唆する冊子を作成して生徒に配るのだという。
今朝、校長先生に改稿を頼まれたのだが、これは私には難しい内容だと思う。
社会人としての心得とか、会社に入ってからのあれこれを指南する内容である。
しかし、教師以外の職についていない私に事細かに指南する冊子を作れというのは無理な話だ。
無理です、と校長先生に言ったのだが、穏やかな笑みを浮かべて容赦なく言い放たれてしまったのだ。
『この学校で一番生徒たちと年齢が近いのは谷口先生ですよ? きっと彼らの気持ちや、彼らが知りたいことを一番理解していると思うのです』
できますよね、と有無を言わさないといった雰囲気で言われれば……新米教師の私は頷くしかない。
だが、結局は私一人では無理なのは周りだって分かっていることだろう。
そのことに校長先生もわかってくれたようで『先生の教育係は吉澤先生ですよね? 彼に頼りなさい』と言われたのだ。
普通に考えれば、校長先生の意見は最もだと思う。
だが、相手はあの吉澤先生だ。クールすぎる態度で対応され、何度も凹まされた。
その相手に教えを請えと、校長先生はおっしゃるのか。
何度校長先生に恨み節を呟いてみても、問題は解決しない。
それなら、撃沈覚悟で吉澤先生に教えを仰ごうと思ったのだけど……
(ダメだ、すでにへこたれそう)
冊子をパラパラとめくっている吉澤先生の横顔を涙目で見つめる。
すべて一通り見終わったのだろう。吉澤先生は深く深くため息をついた。
「で?」
「え?」
「どこを改良すればいいのかわかっていますか?」
「どこって……」
確かにすべてを直さないといけないわけじゃない。改稿なのだから、必ず直すべきものがなければそのままでも良いはずだ。
目の前がパァーッと晴れ渡った気がした。