セルロイド・ラヴァ‘S
「今夜は雨の降り出しが思ったより早かったですね」

マスターはポットに落ちた珈琲をカップにゆっくりと注ぎながら、他愛もない会話をナチュラルに重ねる。

不動産業も接客業だ。初来店のお客とでもフランクに話をしたりする。そういうのには慣れてるから、私も特に緊張することなく受け答える。

「そうなんです。駅を出たらポツポツ来てたので、急いで帰れば大丈夫かと思ったんですけど」

「近いんですか?」

「歩いて15分かからないぐらいなので」

「ああでも、それならやっぱり引き留めて正解でした。10分歩くだけでも濡れてしまいますから」

スプーンとカップが乗ったソーサーをカウンターテーブルの上に置いてくれる。

「苦みを抑えてブレンドしてみました、お口に合うといいんですが。ミルクとシュガーもお好きにどうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」

ミルクピッチャーと氷砂糖入りのガラス容器も添えてもらい、ふとカップの絵柄に目を落として軽く瞬き。ピーターラビット。昔から好き。他にも、のばらの村のものがたりシリーズとか。

思わず顔を上げると目が合った。一瞬、跳ね上がった心臓。少し目を細めて口許を淡く緩ませた彼から束の間、視線を外せずに。話をしている間は相手を見定めるような不躾な真似も出来なかったし、こうしてまともに見たのはこれが最初。

年齢は私よりは上。たぶん35か6歳ぐらい。少しウェーブがかった髪を全体的に後ろに流して、前髪もセンターから少し右寄りに別けてる。清潔感のある髪型だ。細面(ほそおもて)で整った顔立ちは爽やかというよりは涼やか。奥二重の切れ長な眸も、鼻も唇もパーツが綺麗に収まってる。身長もあって、白いシャツに黒の蝶ネクタイ、ベスト、ロングエプロンが似合う。有り体な言い方をすれば年上のイイ男だ。

意識しちゃうと居たたまれなくなっちゃうから、わざと何も考えないようにカップを手にする。芳ばしい香り。まずはそのままで。・・・少し酸味があってスッキリした後味。うん飲みやすいかも。それからミルクと小さめの砂糖の欠片をひとつ。

「・・・美味しい」

マイルドな甘苦さにほっとしたように素直な感想を零すと。彼からやんわりと笑みが覗いた。

「良かった」

豆の良し悪しなんて全然わからないし正直、珈琲より紅茶派だ。

「あんまり拘りもないので。家でもドリップ珈琲くらいですけど」

私は細く笑う。

「やっぱりちゃんと淹れてもらうと、違いますね」
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