セルロイド・ラヴァ‘S
「・・・・・・羽鳥さん」

剣呑な空気をまとい愁一さんを険しく睨め付けている彼の視線を自分に振り向かせ、薄く微笑む。

「・・・私は大丈夫なので」 

ここで私が愁一さんを庇っても彼は納得しない。余計なことは言わずにおいた。

自分の彼女に他の男に抱かれていいと言う男を赦せないくらい真面目で。率直で曲がってない、とても好いひと。羽鳥さんは厳しい顔付きのままでじっと私を見据え、憮然と言う。

「どの辺が大丈夫なのか・・・言ってみろよ」

「羽鳥さんが私を思って怒ってくれたのが分かるぐらいに、です」

作り笑いじゃない笑みを零し見つめ返すと。大きく息を吐いて体をイスの背に預け、上からの視線を向けて無造作に前髪をくしゃりと掻き上げた。

「なら目も醒めたろ、いい加減」 

冷ややかに。さっき私を譲れるとまで言ったのを塵と滅(け)したかのように。

「この男はお前を愛してなんかない、都合よく躰が欲しいだけだ。これ以上時間を無駄に使うなよ。お前には俺がいる」

やおら体勢を戻しテーブルの上で両指を組む。真剣な眼差しが私を射る。

「前に言ったよな、結婚も考えてくれって。バツイチ同士だから分かることだって有る。だからきっと俺とは上手くいく。そうなるよう努力する。絶対に幸せにするから俺と結婚してくれ、睦月」

愁一さんの存在には目もくれず、羽鳥さんは初めて私を名前で呼んで、きっぱりと言い切った。 

結婚っていう切り札はフリーパスみたいだな・・・とふと思う。提示する側もされる側も、他にこんな好条件は無いって考えるのが当たり前で。羽鳥さんがそれを口にするのは逆に躊躇ないだろうとも。

愁一さんのことを置いて言えば、羽鳥さんは“結婚相手”として前向きに考えてゆける人。プライベートの彼は殆ど知らない。でも別れた奥さんがしなくなった家事を仕事と両立させていた話を聴いた時に、愛情や努力、責任を簡単に放棄する人じゃないんだと感じた。結婚に於いては大切な要素だとても。
 
微塵も心が揺れなかったわけじゃない。文句の付けどころもない魅力的な人で、そんな彼に好きだと言ってもらえて。『普通』だったら断る理由を見つける方が難しい。

私は一度も愁一さんに視線を向けなかった。羽鳥さんから迷いなく伸びてきた揺るぎない眼差しを受け止めて。少しだけ答えを巡らせる。

彼が望むものと私が望むものは相容れないだろう。お腹にぐっと力を籠め膝の上の手を握りしめる。喉元に居心地悪く停滞する言葉を一息に押し上げ、ゆっくりと吐き出す。

「羽鳥さん・・・私は」
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