燃えるような夕暮れ
授業が終わり皆が騒がしくなる時間、俺は旧館の美術室に向かった。俺はこう見ても文芸部でもなければ読書同好会でもない。
いつも見るたびに変わる夕日を書きたくて、美術部に入部した。毎日行ってはいるが絵が全然終わらず困っている。ほかの部員といえば数えられるほどしかいない。
三年の宮園さん、二年の深崎と雛月、一年の服部だ。三年の宮園さんは読書してるし、雛月なんてほとんど漫画を書いているし服部は外にいる彼氏に夢中だ。
巫山戯ている、と言えばそうだが俺はこれでよかった。その日一番夕日が当たる場所にバレットを用意し、何も無いまっさらなキャンバスに夕日を描いていく。
しっとりした紙質のものを選ぶことが多く、絵の具がよく染みる。俺はそんな感覚が好きでたまらなかった。そしてその時間が何よりも大切で、失いたくない時間だった。
だからこそ、俺はそれを守るために一生懸命にならなければならない。いつまでも第三者目線からものを言っていてはならない。今を、行かなければ。俺はまだ死んでない。諦めてはダメだ。俺はそんなことを絵に反映したくなくて必死に消した。

帰ると姉貴が寝ていた。疲労が溜まっていたんだろう。俺は来ていた上着を脱ぎ、かけた。姉貴はまた俺のことについて勉強していた。嫌気が刺さないのか謎だが俺はそれが少し嬉しくて笑いがこぼれた。
部屋に戻るといつものように虚無感と脱力感に襲われる。また一日無駄に使ってしまったと考えることが多くなる。まるで死ぬまでの階段を駆け上がっているかのように早く過ぎていく日々。俺はそんな日々でいいのか、と問いかけた。
答えは沈黙。悪いなんて言えないし、それがいいとも言えない。俺は無駄な時間を過ごしているのではないかという漠然とした不安を心に溜め込む。その不安が日に日に大きくなっていっていることも知っていた。
怖くなってまたペンを手に取り、勉強に集中した。俺は弱虫だ。だから、俺は姉貴を理由にしか頑張れないんだ。俺は死ぬのが怖いんだ。悟っているように見せかけて本当に怖いんだ。死ぬって何かわからないから怖いんだ。
そんなことを考えると漠然とした恐怖が背中にこびりついた。目をぎゅっと固く閉じた。怖くて手が震える。字が俺の人生のように細く、ぐにゃぐにゃ曲がっていく。
頭がおかしくなりそうだったので家を出て散歩しに行った。電車に乗って何駅か離れた公園にでも行きたかった。そんな適当な気持ちで電車に乗り、知らない場所の知らない公園の知らないブランコにまたがった。
ギシッ、ギシッとブランコの根元が軋む音がする。音を無理やり鳴らしながらそこに座っている。音がなくなったら途端に怖く、寂しくなるから。震える手で顔を抑えた。
怖いんだ。今物凄く怖い。こんな日々が続くなら早く殺してくれ。早く楽にさせてくれよ。俺は必死にそう願った。その瞬間頭が割れるような痛みとどうしようもないほどの吐き気に襲われた。
まずい。薬なんて持ってない。家からも遠く、我慢できるようなもんじゃない。口元を抑えて電車のホームに向かおうとするが人混みに入ったら吐いてしまいそうなので引き返した。仕方ないので適当な袋ないかと思って探したがなかった。
お金もないので袋を買うことも出来ない。どうしようもない。嫌だ。こんなところで醜態は晒したくない。人前で弱いところ見せたくない。そんな思いで胸がいっぱいだった。それすらも吐き出したくなった。その時だった。
クラスの知り合い、というか本当に知っているだけの人が大丈夫?と駆け寄ってきてくれたのだった。しかも運良く空の袋を持っていた。喋ることが出来ず、手から袋を奪い取ってその中に嘔吐した。
「……誠、……くん……?」
「…ごめん。気持ち悪くなってて、我慢出来なかったから」
「胃腸風邪?大丈夫?」
また吐き気が俺を襲う。さっき使用した袋をまた顔の前に寄せる。さっきの吐瀉物が異臭を放っている。臭くて吐き気が抑制される。
「うっ……っ…ぅっ…」
「だ、大丈夫…には見えないけど、…病院行く?」
「…っそれだけはっ、それだけはやめて……っください」
口元を抑えて俺は必死に懇願する。流石にその子はそ、そうなの?と言いながら走っていった。一人残された公園には音がなかった。またもやなんとも言えぬ恐怖が襲った。
吐き気と言い、恐怖と言い、最悪の日だ。
嫌だ、死にたくない。嫌だ、嫌だ嫌だ。涙が出てくる。俺は初めて怖くて泣いた。あんなに我慢してたのに。あんなにこらえていたのに。溢れる涙は止められなかった。
「…っま、誠くん水買ってきたから濯いで、ね」
「ごめん。俺なんかが迷惑かけてしまって」
「"なんか"じゃないよ。人間は人間に頼らなくちゃ」
彼女は突然俺に抱きついた。そしてさすさすと背中をやさしく摩った。
「風邪なら早く病院行きなよ」
「…ありがとう」
「明日は休みなよ。」
「ううん。行くから心配しないで」
俺はすっと立ち上がり、袋の口を縛った。異臭を放つそれはもう見たくなかった。俺の弱くて、嫌いな部分を具現化されているものだから。我慢してきた5年が無駄になるから。
俺は無理にでも笑顔を作ってその場から離れた。
家に帰ると姉は心配してくれていた。そして吐いたことを言おうと思ったが喉にぐっと堪えて何にもなかった。と言っておいたら姉は嬉しそうに笑った。その時胸がチクリといたんだ。
その日また自分の生きた証をノートに綴った。そして自分が今日晒してしまった弱みを思い出し、自分を傷つけた。
自分の無駄に伸びた髪の毛をバッサリと切った。姉に心配さてたくないから姉が寝てから。明日には気づかれるけど切っている姿は見られたくなかった。前髪をまゆの高さで切りそろえ、後ろ髪は耳たぶあたりぐらいまでに切った。
自分が散るまでの間、美しい姿でいたくてそれが俺の最後の願いだった。

次の日、予想どうり姉に驚かれ、そして褒められた。可愛いねって。いつまでも私の弟でいてね、と。俺はそう言われた時どう反応していいのかわからなくて『俺はいつまでも姉貴の弟だよ。』と返すしかなかった。

席替えをし、隣のヤツが変わった。霧雨永遠という名前の女子だった。その子はクラスでも人気のやつだった。性格は置いておいて顔がいいからだろう。体ももう大人に近かった。髪を切ったことは友達にも驚かれたけどそれ以上にクラス受けがよかった。
「可愛いね、誠くん」
永遠からもやはりその言葉かけられた。姉と同じだ。いや、姉とは違う何かを感じた。
「…ありがとう」
「誠くんは好きな女の子とかいるの?」
いるわけないだろ。俺はもう死ぬんだ。そんな奴がいたらもっと苦しくて怖くなる。俺は何も答えないようにしていたのだけど1人だけ頭の中にいた。
姉だ。
俺のことを理解してくれて、何よりも俺のことを考えてくれて心配してくれて、俺のために無理をしてくれたんだ。好きではなく、感謝というか…まあそこら辺の感情に近いのだろう。俺にはさっぱり理解できない。
「…いない」
「例えば、私とか。」
「え」
突然手を握られ永遠は俺を壁に追い込む。そして胸を擦りつけてくる。俺はなんとも思わなかった。胸なんてなくても可愛い奴はごまんといる。この女は胸でしか自分をアピールできないのか。
所詮女は女だった。
「やめて。気持ち悪いから」
「な、なんてことっ…!」
「俺は、そういうのに興味ないんだ。」
あっても実行している時間もない。そして心の余裕もない。目を閉じてため息をついた。席に座ると隣から視線を感じた。永遠はまだ俺を諦めてなんてなかった。毎授業中胸を押し付けてきて鬱陶しかった。
「やめてって言ってるじゃないか」
「…誠のことが好きなの」
「俺は君のことは嫌いだ。」
「なんでそんなふうに言うのよ!」
「言ってあげる優しさに気づいてよ。」
俺は彼女との会話が嫌になって席を変わってほしいと谷口頼んだ。谷口は後から2番目の結海樹菜子の隣だった。谷口は快く承諾してくれた。なぜなら谷口は永遠が好きだったから。
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