コーヒーの薫りで

俺が医師を目指したきっかけは、母の入院だった。
今の医療では治らず、対症療法しか手はなかったらしい。
気落ちする母に担当医は言った。
『一病息災』と。
母はこの言葉に励まされた。
今も、母は闘病している。
というよりは、病気とうまく付き合っていると言うのが正しいかもしれない。

そんな母を見て、
俺は患者に寄り添える医師になりたいと思った。

でも、現実は難しかった。
診察や治療、手術。空いた時間に論文を読み、勉強する。
身体がいくつあっても足りないほど忙しい。

それ以上に、患者に寄り添うのは難しかった。

病状を説明しても、うけとめきれない患者。
宗教などで治療を拒否する患者。
副作用などの噂が広まり、薬を使うのを嫌がる患者。
安易に民間療法だけに頼ろうとする患者。
そんな患者も中にはいる。

患者それぞれに背景があり、思いがあるのはわかる。
それでも。
患者を思い、こちらが最善だと思う方法を説明するにも関わらず治療を拒否される。
どう説明すれば、納得してもらえたのか……自問自答を繰り返す。

そして、今日今から説明する患者。
以前、別の医師が取った問診票に記載されているのを見てしまった。
『医師に対する不信感がある』と。

過去になにかあったのだろうか。

俺の説明に納得してくれるだろうか。
''治療は患者と協力して行うもの''
患者が主体的に治そうとしなければ、治るものも治らない。
治療の効率も悪くなる。

俺にできるのは。

ただ、患者に真摯に向き合うことだけ。

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