ホログラム
私の地元は此処よりもずっと田舎で、高校は三校しかなかった。男子校に近い工業高校と、女子校に近い商業高校と、三校の中で一番頭のいい共学の進学校。
私は大学に行きたかったから、3番目の進学校に入学したの。勉強も嫌いじゃなかったし、何より両親がそれを強く望んでた。まぁ、他のニ校はやんちゃな子が多かったから、それも理由の一つかしら。
そうそう。私がKに出会ったのは入学してしばらく経ってからだったわ。
田舎だからといって気心知れた仲が多かったわけじゃなくて、そういう友達はみんな隣の地方の高校に行ってしまってたから、私の中学からの友達は二、三人しかいなかったの。しかも、クラスは離ればなれ。
なんとなくクラスに馴染めなくて、帰り道にあった桜の木を眺めて感傷に浸ることが多かった。
その桜の木はかなりの年季が入っていたけど、桜が一等綺麗に咲いていて、しばらくは幹に背中を預けて読書したり、勉強したりするのが楽しかったわ。
そうやって、放課後の時間を潰していたある日。いつもと変わらず読書をする私の頭の上から低い、無愛想な声が落ちてきた。
「なぁ、何してんの」
驚いて顔を上げると、同じくらいの年の男の子が目の前にいて、私を見下ろしていた。工業高校の制服を着崩して、いかにも素行の悪そうな青年だった。そう。その青年こそ、私の初恋の人K。
驚きと恐怖で声が出せない私に、Kは再び言葉を投げつける。
「そこで、何してんの」
「……あ、本を……」
私が本を目の前に掲げて答えると、Kはその本を一瞥して、さらに訊ねる。
「西野圭悟、好きなのか」
「は、はい」
戸惑いながら答える私の隣にドカリと無遠慮に座ったKは、私の顔なんて見ずに続ける。
「『ホログラム』は?」
「……へ?」
「西野圭悟の、『ホログラム』。読んだ?」
「は、はい。読みました」
Kの言う『ホログラム』は、ミステリー作家の西野圭悟がその当時出した最新刊で、正反対の男女が出会い愛し合うが、周りで起こる事件に巻き込まれ、引き離されてしまうストーリー。
その構成は斬新で、各章で語り手が変わり、一見関係のなさそうな小さな出来事が数々語られる。その語られた小さな出来事から最後には一つの大きな真実を導いていく。最終章の怒涛の伏線の回収劇は圧巻の一言に尽きる。
とても失礼な話だけれど、Kがそういう本を読むような人だなんて思わなかったから、凄く驚いたし、私の周りでもあの本を読破する人は少なかったから、嬉しかったの。だから、つい私から話しかけてしまった。
「読みました?凄く面白いですよね」
「いや、読んでない」
意味がわかんねぇし、難しい言葉ばっかだし。そう言うKの正直な言葉に落胆したけど、仕方ないとも思ったわ。あの本を読んだ同世代の子達は皆口を揃えてそう言っていたから。
「姉貴に勧められたけど、難しくて読めねぇんだよ」
「そう、ですか……」
「だから、教えてくんない」
「私?」
「あんた以外、誰がいんだよ」
「ど、どうして?」
「あんた、S高だろ。頭いーじゃん」
「お姉さんに聞けば、い……」
「やだね。あのババァ、ぜってーバカにしてくる」
口を尖らせて言うKが可愛く思えてしまって、私は思わず小さく吹き出した。おかしいわよね。さっきまで彼に怯えていたのに。
私はその申し出に頷いて、翌日から放課後にこの桜の木の下で本の解説をすることになった。
「んじゃ、よろしく。俺は工業1年のK。あんたは」
「私はS高1年の穂澄です。よろしくお願いします」
不良を地で行く工業高校生と、地元の優等生であるS高生。
まるで『ホログラム』のような正反対の二人がこの日、桜と夕焼けが溶けた優しい色の下で出会った。
私は大学に行きたかったから、3番目の進学校に入学したの。勉強も嫌いじゃなかったし、何より両親がそれを強く望んでた。まぁ、他のニ校はやんちゃな子が多かったから、それも理由の一つかしら。
そうそう。私がKに出会ったのは入学してしばらく経ってからだったわ。
田舎だからといって気心知れた仲が多かったわけじゃなくて、そういう友達はみんな隣の地方の高校に行ってしまってたから、私の中学からの友達は二、三人しかいなかったの。しかも、クラスは離ればなれ。
なんとなくクラスに馴染めなくて、帰り道にあった桜の木を眺めて感傷に浸ることが多かった。
その桜の木はかなりの年季が入っていたけど、桜が一等綺麗に咲いていて、しばらくは幹に背中を預けて読書したり、勉強したりするのが楽しかったわ。
そうやって、放課後の時間を潰していたある日。いつもと変わらず読書をする私の頭の上から低い、無愛想な声が落ちてきた。
「なぁ、何してんの」
驚いて顔を上げると、同じくらいの年の男の子が目の前にいて、私を見下ろしていた。工業高校の制服を着崩して、いかにも素行の悪そうな青年だった。そう。その青年こそ、私の初恋の人K。
驚きと恐怖で声が出せない私に、Kは再び言葉を投げつける。
「そこで、何してんの」
「……あ、本を……」
私が本を目の前に掲げて答えると、Kはその本を一瞥して、さらに訊ねる。
「西野圭悟、好きなのか」
「は、はい」
戸惑いながら答える私の隣にドカリと無遠慮に座ったKは、私の顔なんて見ずに続ける。
「『ホログラム』は?」
「……へ?」
「西野圭悟の、『ホログラム』。読んだ?」
「は、はい。読みました」
Kの言う『ホログラム』は、ミステリー作家の西野圭悟がその当時出した最新刊で、正反対の男女が出会い愛し合うが、周りで起こる事件に巻き込まれ、引き離されてしまうストーリー。
その構成は斬新で、各章で語り手が変わり、一見関係のなさそうな小さな出来事が数々語られる。その語られた小さな出来事から最後には一つの大きな真実を導いていく。最終章の怒涛の伏線の回収劇は圧巻の一言に尽きる。
とても失礼な話だけれど、Kがそういう本を読むような人だなんて思わなかったから、凄く驚いたし、私の周りでもあの本を読破する人は少なかったから、嬉しかったの。だから、つい私から話しかけてしまった。
「読みました?凄く面白いですよね」
「いや、読んでない」
意味がわかんねぇし、難しい言葉ばっかだし。そう言うKの正直な言葉に落胆したけど、仕方ないとも思ったわ。あの本を読んだ同世代の子達は皆口を揃えてそう言っていたから。
「姉貴に勧められたけど、難しくて読めねぇんだよ」
「そう、ですか……」
「だから、教えてくんない」
「私?」
「あんた以外、誰がいんだよ」
「ど、どうして?」
「あんた、S高だろ。頭いーじゃん」
「お姉さんに聞けば、い……」
「やだね。あのババァ、ぜってーバカにしてくる」
口を尖らせて言うKが可愛く思えてしまって、私は思わず小さく吹き出した。おかしいわよね。さっきまで彼に怯えていたのに。
私はその申し出に頷いて、翌日から放課後にこの桜の木の下で本の解説をすることになった。
「んじゃ、よろしく。俺は工業1年のK。あんたは」
「私はS高1年の穂澄です。よろしくお願いします」
不良を地で行く工業高校生と、地元の優等生であるS高生。
まるで『ホログラム』のような正反対の二人がこの日、桜と夕焼けが溶けた優しい色の下で出会った。