ホログラム
Kと別れた私は、いつもより重い足を引きずるように家に帰った。


「お帰りなさい、遅かったわね」


「今、何時だと思っているんだ」


玄関の戸を開けると、両親が私のことを心配して声を掛けた。その声に顔を上げた私は両親の顔をまじまじと見つめた。


私のことをいつも見守ってくれる優しい母。厳格で、曲がったことや安定しないことが嫌いだが、不器用な優しさをくれる父。それぞれ愛の見せ方は違えど両親は私を愛してくれている。


分かっている。私にS高に進めと言ったのも、安定した職に就けというのも、全て私のことを想っていっているのだ、と分かっているのだ。


「ごめんなさい、ちょっと考えごとしていたの」


……分かっているからこそ、その期待に応えられないことが辛くて、怖くて仕方がない。


半ば逃げるように自室に入った私はそのまま一冊のノートを開いた。


『雀の涙を拾うとき』


このノートの1枚目に書いてあるその言葉を指でスッとなぞる。


このノートに綴られている物語は、私が書いた最初の小説。もう恥ずかしいやらなんやらで読み返したりなんてしないけれど、私にとってすごく大切な、世界でたった一冊の『小説』。


本は、小説は、引っ込み思案な私を色んな世界に連れて行ってくれた。色んな感情を与えてくれた。時には勇気をくれたし、落ち込んだ時は救ってくれたわ。


私の世界は小説のお陰で色づいた。


私はずっと小説が好きだった。大好きで、私の友だった。


いつしか、私も書きたいと思うようになった。こんな物語があったなら、こんな自分になれたなら、こんな世界があったなら、と物語の登場人物たちが浮かんではそんな言葉を残して私に筆を執らせた。


物語を書いている間はその世界の住人になることができて、そこには私への誹謗も中傷も嫉妬なんてものもない。できることならずっと物語の中にいたかった私は時間が許す限り、自分の世界を作り続けてきた。


そうして非力ながらも守ってきた私の小さな大切な世界は年を重ねるごとに現実がその中に入り込んでくるようになった。


『またそうやってよくわからないものばかり書いて。勉強は?』


『あの子、小説?書いてるらしいよ、この年になっても。自分が頭いいからって。イターイ』


『そんなのは勉強の邪魔だ。才能がないんだから、無駄なことはするな』


『自分に文才あるって思ってない?やめておきなよ、どうせないんだから』


やめて、やめて。お願い。私の心の拠り所を奪わないで。馬鹿にしないで。


私、貴方たちに私の世界を見せたこと無いじゃない。読んでも見てもいないくせにどうして無駄だって、才能ないって決めつけるの?


才能がなくちゃ、頭の中で想像することすら許されないの?それを書き留めることはもっといけないことなの?


物語を、小説を書くことと、私が能力を過信していることはどうしてイコールで結ばれてしまうの?


読書は褒めるくせに、どうして書く側になった途端、否定するの。


ただ、私は本が、小説が、物語が、好きなだけなのに。


大好きなだけなのに。


















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