夢恋
* * * *

「じゃあ、五時半になったんで、上がってくださーい」
「「「はーい」」」
「私は残ってあとちょっと練習するから、先に上がってていいよ」

 そう言うと、後輩たちはぞろぞろと上がっていった。

「はぁー……」

 後ちょっと練習して時間つぶしたら、奏多も帰るよね…?
 そう思いながらコンクール曲を練習する。
 気がついたら、練習に集中しすぎていて、もう六時半になっていた。
 やばっ。下校時刻すぎてる……
 私は慌てて音楽室に戻り、楽器を片付けて戸締りをして、職員室に鍵を返しに行く。
 外は真っ暗で、静まり返っていた。

「やっちゃった……」

 フルートを吹いていると、周りのことが見えなくなってしまうのが悪い癖で、何度か先生にも注意されている。
 でも、コンクール前なのに練習しない人たちより大分マシだと思う。
 っていうか、ジメジメしてて暑い。
 額に汗が滲んでくる。
 そんな時に思い出してしまうんだ。
 奏多のことを。
 もう、待ってないよね?待ってたら、どうしよう。
 そう思った瞬間、私は全力疾走していた。
 門まで行くと、人影が見えた。

「な……んで…待って…」
「音羽!遅かったなぁ…暑いじゃん」
「っ……バカじゃないの…?」

 ほおに汗が垂れている奏多。
 そりゃあ、こんな暑い中待ってたら汗を掻くだろう。

「今日、塾ないの?」
「…うん」
「じゃ、帰ろ。ゆっくり」

 そう言って無邪気に笑う奏多。
 怒ってないの…?

「………うん」
「あれ。素直」
「うるさい」
「……なんで、顔赤いの?」

 奏多が不思議そうな顔で私の顔を覗き込んできた。

「何でもない!」

 気のせいだ。
 顔が熱くなるのも、胸が高鳴るのも、全部全部、気のせいだ。
 全部、全部、全部……
 私、今日おかしい。
 いつもなら、こんなのなんとも思わないのに。
 きっと、奏多を待たせた罪悪感だ。
 きっと、そう。

「行こ……」

 奏多の服の裾を掴んでそう言うと、奏多が私の頬に手を添えて、私の顔を上に向ける。

「音羽…俺……」

 そう言いながら奏多が顔をどんどん近づけてくる。
 え……え………待って……待って待って……

「か……なた……」

 嘘。待って。やだやだやだ…!!

「や……やめて!!!」

 ゴンッ。
 私、奏多に思いっきり頭突きをする。
 いった〜……
 自分からぶつけておいてなんだけど、結構痛い。
 私たちは、お互いにデコを押さえてうずくまる。

「何すんだ…」
「それはこっちのセリフよ!!何しようとして…」

 バクバク。
 心臓は、さっきよりも大きく、確実に激しく鳴っていた。

「何って……………キス?」

 奏多がそう言ってニッと笑う。

「ドキドキ、しただろ?」

 はぁ……?
 そう言われた瞬間、私は急速冷凍。
 さっきまでのドキドキは嘘のように止まった。
 このチャラ男、一回寺に行って修行させてもらったほうがいいんじゃない?
 除夜の鐘108回叩いてこい。

「全然ドキドキしてないです。帰りましょう」

 そう言って歩き出すと、奏多が慌てたようについてくる。

「そういえば、音羽、あいつからの告白断っただろ」
「あいつって……どいつ?」
「………日向」
「あぁ。奏多の双子か」
「………うるさい。断ったのか?」
「うん。オッケイする意味ないし」

 っていうか、なんか不機嫌?
 日向くんの名前出してからだよね…?

「あいつのこと、どう思ってんの?」
「え…?整った顔してるなって思ってる」

 そう言うと、奏多が足を止めて驚いたように私を見る。
 な、何よ……

「今、日向のことかっこいいって言った……?」

 まぁ言い方は違えども、言ったけど……

「日向のこと、好き?」
「私、告白断ったよ」
「じゃあ、嫌いなの?」
「私、女好きは嫌い。日向くんも奏多も、女好きじゃなければ普通」
「そこは好きって言えよ…」

 奏多ががっくりと肩を落として言う。
 そんなこと言われても……

「私は、聖奈ちゃんは好き。それ以外はあんまり好きじゃない」

 そう言うと奏多が目を見開いて固まった。

「………レズなの?」

 そう言われて吹き出しそうになってしまう。
 んなわけないでしょ!!!
 レズはレズビアンのことで、いわゆる同性愛者ってやつ。

「別に、普通に男の子に恋するけど、したことないだけ」
「じゃあ俺と付き合ってみる?」
「………は?」

 何言ってるのこの人。さっきから。
 私たちは、赤信号で足を止める。

「理由は?」
「俺と付き合ってみて、恋人らしいことをする。それで、ドキドキしたりして、いろんな感情を体験してみたら?何にも思わなかったら振ってくれてもいいし」
「お試しってこと……?」
「そうだな」
「恋人らしいことって?」
「それは俺に任せて」

 それって、いいの?
 いや、ダメでしょ。だってそれは……

「無理」
「え…………」
「私は、奏多のこと、少なくとも前よりは好きだよ。だからこそ、そんな風に奏多の時間を無駄にしたくない」

 そう言いながら青になった信号を渡ると、奏多がぼう然としたまま立ち止まって私を見つめている。
 「どうしたの」そう言いかけて、今度は私が目を見開く。
 奏多の瞳から、一筋の涙が零れ落ちたから。
 キレイ。なんて、場違いなことを思ってしまう。
 私は、歩いた道を戻って奏多のところに行く。
 それと同時にまた、信号が赤になった。

「な、んで……」
「え……あ、ごめん…っ」

 奏多は慌てたように涙を拭うが、涙は止まることを知らず、どんどん溢れてくる。
 ……………わからない。
 私には、九条奏多という人間が、わからない。
 どうして今泣いてるのかも、どうしていつも同じ笑顔で笑っているのかも。どうしていつも………
 どうしていつも、悲しそうな瞳をしているのかも。
 私には、わからなかった。

「私は、奏多のことを見てると、イライラする」

 口から出た言葉は、そんな事だった。

「え……何で、このタイミングで悪口?」
「悪口じゃない。褒め言葉」

 そう言うと、奏多が濡れた瞳で私のことを見つめる。
 ドキンッ。
 あ……この感情も、奏多の行動から感じるものなのかな……?

「奏多は、私にいろんなことを思わせてくれる。考えさせてくれる。今まで関わってきた人は、私が冷たくしたら、すぐにどこかに行っちゃってたのに……思い通りにならなかったのも、奏多だけ。だから、イライラする」

 私は、奏多の手を引いて、近くにあった公園に入り、ベンチに座る。

「………」
「………」

 き、気まずい…!!
 どうしよ…あんまり人と関わってこなかったせいか、こういう時になんて言ったらいいのかわからない…

「どうして、慰めてくれんの?」

 沈黙を破ったのは、奏多だった。

「慰めたっていうか………私…奏多には笑顔でいてもらわないと困る」
「何で?」

 何でって……何でだろう。
 別に慰めるつもりなんてなかったし、思ったことを言っただけ。
 それが慰めになったと思うなら、きっと奏多の気のせいだ。

「奏多のこと、少なくとも大事だと思ってるから」

 そう言うと、奏多は私のことを一瞬見つめて、頬を赤く染める。
 ドキン。
 その顔は、ちょっと、可愛いかも……
 ドキン。ドキン。
 まただ。この音は、どこから来るんだろう。この感情は、どこから感じてるんだろう。

「涙、止まった?」

 そう聞くと、奏多は「うん」と小さな声で言った。

「じゃあ、帰ろっか。今日は、もう暗くなって危ないし」

 ベンチから立ち上がりながらそう言うと、奏多が私の腕をつかむ。

「え……何?」
「あのさ、さっきのこと……」

 さっきのこと?

「付き合おうって話」
「あ、あぁ~……」

 まだその話続いてたんだ。
 私は、軽くため息をついて、ゆっくり奏多の手を振りほどく。

「私は、奏多と付き合うつもり」

 「ない」そう言おうとした瞬間、奏多が立ち上がって私のことを抱きしめる。
 
「か、なた……!?」

 状況を理解して、慌てて奏多の腕の中で暴れる。

「何して…」
「俺は!!」

 ビクッ。
 急に大きな声を出す奏多に驚いて、思わず動きが止まる。

「……俺は、音羽が好きだよ」


< 9 / 11 >

この作品をシェア

pagetop