仮初めマリッジ~イジワル社長が逃してくれません~
行き先ボタンが押されていないエレベーターは、空間ごと切り取られてしまったかのように浮いている。

無音の狭い空間の中、私の頬を伝っていた涙が小野寺さんのスーツの胸元に吸い込まれていく。

「……俺は、この感情をどうしたらいい」

小野寺さんの声音は、まるで大切な人に掛けるような優しさを帯びていた。

私は自分の足先を見つめたまま大きく目を見開く。

小野寺さんの言う通りマネージャーだって大変だ。
彼が悪いわけでもないのに。モデルに泣かれて、慰めるために優しく抱きしめなきゃいけないなんて。

誠実そうな彼なら尚のこと、その感情とどう向き合っていいのかわからないに違いない。

驚きのあまり大きく息を吸い込んだおかげか、嗚咽は徐々に小さくなりながら収束する。

小野寺さんのお陰で、ぐちゃぐちゃだった感情が落ち着きを取り戻し初めていた。

「……迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」

「迷惑じゃない。俺はお前のためならなんだってする」

ひゅん、とエレベーターに一瞬の浮遊感が生まれる。
切り取られていた空間が動き出した。
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