仮初めマリッジ~イジワル社長が逃してくれません~
その日の夜までには、少ない私物をまとめて自宅へ帰ることに決めた。
ハワイの撮影を終えれば、もう、ここには帰ってくることはないだろう。

最後の家事をしながら、私のいた痕跡を出来るだけ消すことに尽力する。使いかけた日用品を纏めながら、寂しさや虚しさが募った。

彼に迷惑をかけないように、ゲストルームもホテルの部屋ように清掃し、この部屋が贈られた日の状態に戻した。


夕方。全てを終えた私は、慧さんへの感謝の手紙を書いて、そっとダイニングテーブルに置いた。

「――大変、お世話になりました」

素敵な時間を過ごさせてくれた全てへ、深く頭をさげると、私は慧さんの家をあとにした。



帰宅途中のサラリーマンや学生達が歩く路地を曲がり、築二十年を数えるマンションの前に立つ。

「ただいま〜」

久しぶりに足を踏み入れた自宅は、どこか他人の家のような余所余所しさがある。一人暮らし用のワンルームなのに、不思議と今の私には広すぎる気さえした。


薬指にはめていたエンゲージリングを外し、リングケースにしまう。

忘れないうちに海外旅行用のトランクに入れると、いよいよ魔法が解けて、夢から覚めてしまったようだった。



こっちが私の現実なのに。

胸にぽっかりと穴が空いている。想いが溢れて、涙がこぼれた。

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