仮初めマリッジ~イジワル社長が逃してくれません~
「こういう時は“ただいま”、だよ」

そう言って骨ばった手のひらを自然な動作で首筋から肩へと撫でるように移動させると、彼は強引に私の腰を引き寄せた。

「ひゃっ」

突然縮まった距離感。
常盤社長の手が通った部分が、微かに熱を持っていくのを感じて混乱した。

な、なんで恋人みたいに触れるの? 婚約者って言っても嘘だよね?
これから毎日こんな風にスキンシップをされたら、身がもたないよ!

私は自分を守るように、胸の前でキュッと手を握りしめる。


――ポーン。
無音の空間の端で、エレベーターから到着音が聞こえた。
どうやら誰かがこの階に到着したらしい。

こんなところを見られたら困る。
私は常盤社長の腕の中で身を捩りながら、素早くエレベーターへ視線を向けた。


扉が開き出てきたのは小野寺さんだった。彼も既に私服のスーツに着替え終えている。

彼はフロアに足を踏み入れると、私を抱き寄せる常盤社長を見て冷静な表情に怒ったような色を浮かべた。

「お疲れ様です常盤社長、本日はありがとうございました。……琴石、帰るぞ」

ここへ来た時のように私の自宅まで送ってくれる予定だったのだろう。
彼の手には車のキーが握られている。

「あの、その、私」

このお仕事を続行させてもらうために誓約書にサインをしたので、小野寺さんとは帰れない。
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