淡雪
「いっそのこと、揚羽が廓に戻れないぐらいの状態だったら、こっちで引き取れるのにな」

「あの子にとっても、それのほうが幸せでしょうね」

 だがそうなると、奈緒の身が危険だ。
 未来ある禿を害されたとなれば、花街は黙っていない。
 もっとも、まさか女子が犯人だとは思わないだろうから、そうそう奈緒に辿り着くこともないだろうが。

「これで奈緒が元に戻ってくれれば、全て解決なんだが」

 ふぅ、と息をつき、黒坂は顔を上げた。

「じゃあとりあえず、今日は帰る。……久々に会えたってのに、お前に触れないで別れるってのも変な感じだが」

「泊まって行かれたら?」

 つい、と音羽が身を寄せる。
 確かにここは招き屋の前だが。

「花魁を一晩買えるような金はねぇよ」

 見世に入るからには、ただというわけにはいかない。
 いつもの舟宿ではないのだ。

「黒坂様のお金なら、わちきが持ちますよ」

「そんなことできるか」

 請け出すことができない上に、これ以上の負担をかけるわけにはいかない。

「それじゃあ……」

 踵を返そうとした黒坂の動きが止まる。
 何かを感じた。
 一瞬だが、背筋の寒くなるような---殺気。

「黒坂様?」

「……音羽。お前は見世に戻れ」

 注意深く辺りを見回す黒坂に言われ、音羽は気にしつつも、見世に入った。
 音羽が無事に招き屋の中に消えるのを見届けてから、黒坂はゆっくりと歩き出した。

 もう何も感じない。
 眠りに落ちた花街には、少し前の喧騒もなく、人通りもない。

 気のせいだろうか。
 音羽の身を案じるあまり、過敏になり過ぎているのかもしれない。

 ふ、と身体の力を抜き、招き屋を後にする黒坂の背後を、ゆら、とぬるい風が吹き抜けた。
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