淡雪
「引っ立てろ!」
花街の会所からも人が集まり、喚く奈緒を引き連れていく。
こそっと男衆の一人が、黒坂に近付いた。
「旦那、とりあえず今のうちに」
こそりと耳打ちし、傍の者に音羽を渡す。
そして素早く騒然とする人混みに黒坂を連れて紛れ込んだ。
後ろ髪を引かれる思いで音羽から離れた黒坂は、花街の端、大通りから外れた川沿いの裏通りで足を止めた。
前の男が振り返る。
「乗ってくだせぇ。お送りします」
言いつつ土手を降りて川に近付く。
よく見ると、小さな小舟が舫ってある。
「いざというときのための早舟でさ」
とん、と舟に飛び移り、男は竿を握った。
「お前も舟を操れるのか」
「花街の男衆は、これぐらいの舟なら何とか動かせまさぁ」
男に続いて黒坂も舟に飛び乗った。
すぐに舟は土手を離れ、暗い川に滑り出していく。
ちらりと黒坂は、花街を振り返った。
道を一本入れば、大通りの華やかさは嘘のように鳴りを潜める。
安い裏見世の立ち並ぶ薄暗い界隈には、大通りで起きた先ほどの騒ぎも届かない。
「あの女、旦那のお知り合いで?」
不意に竿を操りながら、男が口を開いた。
「……小槌屋の客だ」
「……はぁ、お仕事絡みのお知り合いで」
なるほど、と呟きながらも、男は首を捻った。
小槌屋の対談方が客と会うのは、取り立てのときだ。
決していい状況ではない。
「その辺の詳しいことは、女将に聞いてくれ。それよりも音羽は大丈夫だろうか」
黒坂にとっては、奈緒よりも音羽のほうが心配だ。
斬られているのだ。
おそらく身体は大きな帯もあるし無事だろうが、剥き出しの首から顔は無事では済むまい。
結構な血が飛んだし、首筋は場所によっては命に係わる。
「何とも言えませんや」
声を落とし、男はそれきり黙って舟を進めた。
花街の会所からも人が集まり、喚く奈緒を引き連れていく。
こそっと男衆の一人が、黒坂に近付いた。
「旦那、とりあえず今のうちに」
こそりと耳打ちし、傍の者に音羽を渡す。
そして素早く騒然とする人混みに黒坂を連れて紛れ込んだ。
後ろ髪を引かれる思いで音羽から離れた黒坂は、花街の端、大通りから外れた川沿いの裏通りで足を止めた。
前の男が振り返る。
「乗ってくだせぇ。お送りします」
言いつつ土手を降りて川に近付く。
よく見ると、小さな小舟が舫ってある。
「いざというときのための早舟でさ」
とん、と舟に飛び移り、男は竿を握った。
「お前も舟を操れるのか」
「花街の男衆は、これぐらいの舟なら何とか動かせまさぁ」
男に続いて黒坂も舟に飛び乗った。
すぐに舟は土手を離れ、暗い川に滑り出していく。
ちらりと黒坂は、花街を振り返った。
道を一本入れば、大通りの華やかさは嘘のように鳴りを潜める。
安い裏見世の立ち並ぶ薄暗い界隈には、大通りで起きた先ほどの騒ぎも届かない。
「あの女、旦那のお知り合いで?」
不意に竿を操りながら、男が口を開いた。
「……小槌屋の客だ」
「……はぁ、お仕事絡みのお知り合いで」
なるほど、と呟きながらも、男は首を捻った。
小槌屋の対談方が客と会うのは、取り立てのときだ。
決していい状況ではない。
「その辺の詳しいことは、女将に聞いてくれ。それよりも音羽は大丈夫だろうか」
黒坂にとっては、奈緒よりも音羽のほうが心配だ。
斬られているのだ。
おそらく身体は大きな帯もあるし無事だろうが、剥き出しの首から顔は無事では済むまい。
結構な血が飛んだし、首筋は場所によっては命に係わる。
「何とも言えませんや」
声を落とし、男はそれきり黙って舟を進めた。