淡雪
 夕刻近くになって、黒坂は高保家に赴いたが、門前の小者に取次ぎを頼むと、あるじは留守だと断られた。

「本当か? 居留守こいてるんじゃねぇだろうな」

 借金取りから逃げるため、居留守はよく使われる。
 だが小者は、あからさまに迷惑な顔をした。

「とんでもねぇ。こちとらそれどころじゃねぇんだ。さっさと帰ってくんな」

 武士とはいえ浪人である黒坂には、小者といえども横柄な態度にでる。
 ち、と舌打ちし、黒坂は屋敷内を窺った。

 確かに静まり返って、あまり人の気配がない。
 花街から何らかの連絡があって、そちらに行っているのだろうか?

 どうしたもんか、と門前で迷っていると、少し向こうに娘が佇んでいるのが目に入った。
 娘は黒坂と目が合うと、少し迷う素振りを見せた後、ぺこりと頭を下げ、近付いてきた。

「あの、もしや奈緒様のお知り合いでは」

「……知り合いっていうか……。まぁ知ってることは知ってるが……」

 見たところ、娘は奈緒と同じような御家人の娘だ。
 下手に家庭の事情を話すとややこしいかもしれない。
 曖昧に、黒坂は答えた。

「私は静(しず)と言います。奈緒様とお稽古で一緒でしたの。あの、もしやあなた様は、稲荷神社で奈緒様を救ったことがおありでは?」

「ああ、あったな」

 黒坂が頷くと、静と名乗った娘は、やはり、と呟いた。

「少しお話できましょうか」

「ああ。こっちも事情を知る者が欲しいところだ」

 では、と静はゆっくりと歩を進める。
 ゆるゆる歩き、奈緒の家から離れたところで、静は前を向いたまま口を開いた。
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