淡雪
「……どういうことだよ」

 奈緒が帰ってから、黒坂は小槌屋に不機嫌な顔を向けた。

「聞いた通りですよ。お嬢様がどうしても父上のために借り入れが必要だと申し入れてきた。どんな条件でも呑む、控えた婚儀が破談になってもいいとまで仰るのでね。まだお若いのに、しっかりした方だと、胸打たれたのですよ。ただ手前も商売なのでね、情けだけでは動けませぬ。お嬢様の本気さを測る意味合いもありまして」

「……いや待て待て。今、婚儀って言ったか?」

「おや、ご存じなかった? お嬢様は近く婚儀を控えておりました。お相手は例の、お父上の上役である伊田様のご子息。お嬢様と多額の持参金で、昇進の道を手に入れる、というわけですなぁ」

「てことは、父親の出世のための身売りかよ」

「お武家の家では、珍しいことではありませぬよ。むしろ普通でしょう」

 んむ、と黒坂が口を噤む。
 が、ふと以前に町で見かけた奈緒の様子を思い出した。

 あのとき一緒にいたのが許嫁だろう。
 そういえば、蔵宿師と対峙したときにも、その場にいた。

「そう嫌がってそうでもなかったな……。さして楽しそうでもなかったが」

「あのお嬢様は、いささか表情が硬いですからな。若い娘は笑ってなんぼですのに」

 すぱーっと煙管を吹かし、小槌屋が言う。
 それには黒坂も同感だ。

「奈緒様は、あの辺りでも有名な小町娘ですから、もっと笑えばよろしいのに勿体ない」

「そうだな……て、そういう話じゃねぇ。婚儀を控えた娘の身柄を押さえるってどうなんだ」

「そういうのは、この世界では関係ありませぬよ。まぁ手前はそこまであこぎな商売はしたくありませんので、実際に娘を遊郭に売ったりはしませんが。ていうか、そもそも人を担保にはしないですが」

「してるじゃねぇか。しかも初めて担保に取ったのが、婚儀を控えた娘って最低だぞ」

「だからきちんと娘さんの了解を取った上でのことですよ。こっちだってそれなりの危険を冒しているのです。うちはそれほどの大店ではないですからね。高保様の借金が戻らなければ、うちだって苦しいのです。それほどのお金を貸しているのですから、高保様もそれなりのものを差し出すべきでしょう? そこまでの覚悟がないと、此度の借金は受けられませんよ」

 小槌屋の言うことももっともだ。
 此度の借り入れは、一両二両ではないのだ。

「とにかくそういうことなんで。高保様の昇進が叶わなかった暁には、黒坂様、お嬢様をお願いしますよ」

「……そこに俺が入る理由を聞いてもいいか?」

 商売としての取引は理解したが、最後の条件については理解できない。
 胡乱な目を向けると、小槌屋は扇で、ぱし、と己の頭を叩いた。

「何、このままでは黒坂様は一生独り身ではないですか。ちょっとした親心ってやつですよ」

 面白そうに言う小槌屋に、黒坂はため息をついた。
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