淡雪
「すまぬ、奈緒」

 左衛門は項垂れた頭を上げることもできず、ひたすら奈緒に謝った。

「父上、そんなことはもう気にせず、しゃんとしてください。私にすまないと思うのであれば、何としても昇進なさって」

 励ますように言い、奈緒は良太郎に頭を下げる。

「良太郎様には申し訳ありません。勝手な真似をしてしまいました」

「全くですよ!」

 一人憤懣やるかたなしといった良太郎が、憮然と言う。

「何故このような無茶をなさるのです。私に一言の相談もなく、このように早まった真似をなさるとは。私だって奈緒殿のためであれば、借財を背負う覚悟はありましたのに」

「ごめんなさい。でもこれは、うちの問題ですから。良太郎様の優しさに甘えるわけにはいきません」

「奈緒殿の家の問題であれば、最早私の問題でもありますよ!」

 必死に言う良太郎に、奈緒の両親は、ほろりと涙ぐむ。
 そんな様子を横目で見、奈緒は何となく居心地が悪くなった。

 耳に、小槌屋の出した条件が残っている。
 『昇進が叶わなかったときは、黒坂様に嫁いで頂きます』

 良太郎も両親も、きっと昇進できなかった場合の奈緒の身柄は、遊郭行きだと思っているに違いない。
 というか、普通はそうだ。
 奈緒だってそう思っていた。

 だが実際は浪人に嫁ぐだけ。
 しかも、ちょっと気になる人だ。

 こそりとそう思い、奈緒は内心慌てる。
 許嫁がありながら、他の男に気を取られるとは何たることか。

 黒坂など得体が知れない。
 何となく、良太郎のように実直ではない雰囲気だし、奈緒のことを好いているわけでもないだろう。

 そうは思うが、では何故小槌屋は、わざわざ黒坂を指名したのだろう。
 貸した金の回収のためなら、それこそ遊郭に売ったほうが金にはなる。
 自分のところで世話を見ている浪人に下げ渡したところで、一銭も入らないではないか。

---黒坂様が、私を求めた……とか?---

 そうであれば納得できる。
 だがその考えに、奈緒は真っ赤になった。

---そ、そんな、ただ三度ほど喋っただけで、そんなことっ---

 だが奈緒だってその短い期間で、黒坂が気になっている。
 考えれば考えるほど顔が赤くなり、奈緒は前で憤慨する良太郎に気付かれないよう下を向いた。
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