淡雪
第五章
びぃん、と狂った三味線の音が響いた。
皆が手を止め、奈緒を見る。
「あ、ごめんなさい」
「珍しいこと。何か気がかりでも?」
師匠に問われ、奈緒は手を降ろした。
「まぁわたくしたちのような下級武士の娘は、苦労が絶えないものですけど」
「そうですよ。婚儀を控えた娘がいるってのに、父は相変わらずどこぞの女子の元へ通ってるし」
ここには同じような境遇の武家の娘が習いに来ている。
一人がため息交じりに呟いた。
前に舟雅の話をしていた娘だ。
「殿方の妾宅通いは当たり前なのかもしれないけど。これから嫁ごうって娘の気持ちも考えて欲しいわね」
「全くその通り。夢も希望もありゃしない」
「あの。でも舟宿に行ったからって、何も絶対逢引きとも限らないのでは? お料理目的の方もいるでしょう? 私もたまに買い物に行きますし」
奈緒が口を挟むと、娘は、少し馬鹿にしたように、ふぅ、と息をついた。
「そういうお店とは、一見してわかるものですよ。真昼間っから新規のお客を二階に通すんです。お宿の二階は、普通は泊り客用のお部屋ですからね」
「え、に、二階に上がったら、そういう目的なんですか?」
「だってお食事だったら、下で食べればいいじゃないですか。まぁそりゃ早めに宿入りする釣り客もいるでしょうけど、釣り客なんて、それこそ一見してわかるでしょう? 釣り竿持ってるだろうし」
奈緒は視線を落とした。
黒坂の住まいがあそこでない限り、この娘の言う通り、誰かに会いに行っていたはずだ。
だがそれは、女とは限らない。
---対談方なんだから、商談にあそこを使っただけかもしれない---
借財の状況によっては、人目についてはまずい借り手もおろう。
ああいった目立たぬ場所は、そういう人にはうってつけではないか。
それはそれで納得したものの、考えてみれば、奈緒は黒坂のことを何も知らない。
もしかして、神社で会っていた女子は娘だったりするのだろうか。
---いや、黒坂様は独り身だって前言ってた。……まぁ今は、という意味なのかもしれないけど---
一人で考えても答えは出ないことをぐるぐる考え、お稽古に全く身が入らないまま、奈緒は帰路につくのだった。
皆が手を止め、奈緒を見る。
「あ、ごめんなさい」
「珍しいこと。何か気がかりでも?」
師匠に問われ、奈緒は手を降ろした。
「まぁわたくしたちのような下級武士の娘は、苦労が絶えないものですけど」
「そうですよ。婚儀を控えた娘がいるってのに、父は相変わらずどこぞの女子の元へ通ってるし」
ここには同じような境遇の武家の娘が習いに来ている。
一人がため息交じりに呟いた。
前に舟雅の話をしていた娘だ。
「殿方の妾宅通いは当たり前なのかもしれないけど。これから嫁ごうって娘の気持ちも考えて欲しいわね」
「全くその通り。夢も希望もありゃしない」
「あの。でも舟宿に行ったからって、何も絶対逢引きとも限らないのでは? お料理目的の方もいるでしょう? 私もたまに買い物に行きますし」
奈緒が口を挟むと、娘は、少し馬鹿にしたように、ふぅ、と息をついた。
「そういうお店とは、一見してわかるものですよ。真昼間っから新規のお客を二階に通すんです。お宿の二階は、普通は泊り客用のお部屋ですからね」
「え、に、二階に上がったら、そういう目的なんですか?」
「だってお食事だったら、下で食べればいいじゃないですか。まぁそりゃ早めに宿入りする釣り客もいるでしょうけど、釣り客なんて、それこそ一見してわかるでしょう? 釣り竿持ってるだろうし」
奈緒は視線を落とした。
黒坂の住まいがあそこでない限り、この娘の言う通り、誰かに会いに行っていたはずだ。
だがそれは、女とは限らない。
---対談方なんだから、商談にあそこを使っただけかもしれない---
借財の状況によっては、人目についてはまずい借り手もおろう。
ああいった目立たぬ場所は、そういう人にはうってつけではないか。
それはそれで納得したものの、考えてみれば、奈緒は黒坂のことを何も知らない。
もしかして、神社で会っていた女子は娘だったりするのだろうか。
---いや、黒坂様は独り身だって前言ってた。……まぁ今は、という意味なのかもしれないけど---
一人で考えても答えは出ないことをぐるぐる考え、お稽古に全く身が入らないまま、奈緒は帰路につくのだった。