淡雪
 そんなことが許されるのだろうか。
 奈緒は花街のことなど知らないが、遊女の最上級である花魁など、会うだけでも莫大な金がいる。
 外で会うということは、そういった金を一切払わない、ということではないのか。

「最近は花街っても昔ほど縛りはきつくないんですよ。そりゃ足抜けとかはご法度ですがね、年季だって勤め上げればちゃんと出られる。まぁ年季が明けたって市井の暮らしに戻るにゃきついもんですがね。一度苦界に落ちたもんは、苦界から抜けられないもんだ。それは花魁だって変わりません。それがわかってるから、招き屋は音羽を好きにさせてるんですよ。別に店の仕事に穴を開けるわけでもない。昼間の一刻ほど自由にさせるぐらい、構わないと思ってるんでしょう」

 とはいえ大っぴらに呼び出すわけにもいかないから、連絡は使い走りの禿を通していたのだろう。
 あの日、神社で会っていた少女は、花街の禿だったわけだ。

「ど、どうしてそんな方がいるのに、小槌屋さんは私を黒坂様に娶わせようとなさるのです」

 初めと同じ質問が、奈緒の口から出た。
 もっとも初めのときよりも、随分きつい口調になったが。

「黒坂様は武士ですよ。手前のような商人ではない。遊女の身請けなど、懐具合はもちろん、立場的にもあり得ないとわかるでしょう?」

「だからって……」

 心を占める女子が他にいるとわかっている男のところに嫁ぐなど耐えられようか。
 外に女子を囲うことなど珍しいことではないが、嫁ぐ前からそういう女子がいるのとはわけが違う。

「もっとも黒坂様が音羽を正式に正妻とするなら、誰も文句は言いませんでしょうけど。お家があるわけでもありませんしね。でもそれこそ、ここが寂しい浪人には無理な話です」

 ぽん、と小槌屋が己の懐を示す。

「ま、それもこれも、お嬢様のお父上が無事出世なされば何の問題もありませぬよ。わたくしとしても、もちろんそちらを望んでおります」

 奈緒や良太郎が何とかやりくりして少しずつ借金を返しても、そんなものは焼け石に水で完済には程遠い。
 やはり父が出世できないと、その時点で奈緒の気持ちなどお構いなしに、身柄は押さえられるのだ。

 小槌屋に条件を提示されたときは、驚いただけで嫌ではなかったのだが、今はまた違う感情が心の奥底に、澱のように溜まっている。
 今日ここに来る前の疑問は晴れたが、聞かないほうが良かったと言えなくもない。

 結局肩を落としたまま、奈緒は小槌屋を後にした。
< 43 / 127 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop