淡雪
「あ、ご、ごめんね。大丈夫?」

 慌てて言うと、少女は、つい、と顔を上げた。
 その顔に、どきっとする。
 見覚えがある。
 黒坂と、神社で会っていた子だ。

 奈緒が呆然としている前で、少女は気遣う薫にぺこりと頭を下げ、散らばった荷物をかき集める。
 そして、再び顔を上げた。

「うちでお着物を乾かして行かれてください」

 そう言って、少女が先に立って二人を促す。
 奈緒の胸が、どきんと跳ねた。

 少女の向かう先は招き屋だ。
 薫もそれに気付き、興奮したように奈緒を見た。

「招き屋だわ! あそこに入れるなんて、何て幸運なの!」

 浮かれる薫は、いそいそと少女について見世に入る。
 女子が、まして客でもない人間が置屋に入れることなどまずない。
 薫は純粋な興味で心躍らせていたが、奈緒は変に緊張しつつ、招き屋の暖簾を潜った。

「揚羽(あげは)。帰ったのかい?」

 三人が中に入るなり、奥から恰幅のいい初老の女性が姿を現した。
 そして少女の後ろを見、怪訝な顔をする。
 が、着物に飛んだ泥や雨に濡れた姿を見、事情を察したらしい。

「やっぱり雨に降られたんだね」

「おかあさん。この人たち、わっちがぶち当たったせいで転んだ」

「お前は全く、傘を持たないからだよ」

 おかあさん、というからには、この女性が招き屋の女将なのだろう。
 すぐに下働きの者に命じて、濯ぎの用意がなされた。

「揚羽ということは、この子、音羽花魁の禿?」

「おや、お武家のお嬢さんも、音羽のことをご存じかい」

 興奮気味に言った薫に、女将が少し自慢げに応じた。

「この子は音羽の、一の禿だってのに、どうもそそっかしくてねぇ」

「え、でも凄く可愛い。将来楽しみですね」

 何だか女将と盛り上がる薫を横目に、奈緒は上がり框に荷物を広げている揚羽を見た。
 彼女の持っている荷物の中に、文でもないだろうか。

---て、文があったところで、読めるわけもないんだけど---

 大体揚羽が文を持っていたって、それが黒坂からのものとも限らない。
 それに、以前神社で見たときは、口頭で伝えていた。
 ものが残る文でのやり取りは、していないのかもしれない。

 そんなことを考えていると、奥の階段を、一人の女性が降りてきた。

「おや、どうしなすったの?」

 玄関先に溜まっている四人を見て、意外そうな顔をする。
 女将と喋っていた薫がそちらに顔を向け、息を呑んだ。

 奈緒の目も見開かれる。
 同時に激しく心の臓が暴れ出した。
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