淡雪
「ああ音羽。揚羽がこのお嬢さんたちにぶち当たっちまったんだよ」

「あらあらそいつは。わっちの禿が、えらいご迷惑をおかけして、申し訳ありませぬ」

 言いながら歩み寄ってくるのは、化粧もせず髪もきちんと結っていないが、見たこともないほど美しい女子だ。
 この女子が現れただけで、辺りの空気が変わるほどの華やかさを纏っている。
 これが、音羽。

「揚羽は、お稲荷さんに参ってきたのかえ」

 さりげなく、音羽が揚羽に言った。
 それに、奈緒はあからさまに動揺した。
 揚羽が、ふるふると首を振る。

「そっか……」

 心なしか寂しそうに、音羽がぽつりと呟いた。
 おそらくこれが、黒坂と会うか会わないかのやり取りなのだろう。

 揚羽が『稲荷に行った』と言えば、それはすなわち黒坂と会った、ということではないか?
 揚羽が黒坂と会えば、逢引きの場所と時刻を伝えるのだ。

 揚羽が買い物に出るたびに、お稲荷さんには寄るだろう。
 だが時刻も日もまちまちなので、いつも行けば黒坂に会えるとも限らない。
 揚羽が行っても黒坂に会えなかったら、先のように『稲荷には行かなかった』という答えになるのだろう。

 それにしても、見れば見るほど美しい女子だ。
 このような時刻、遊女は起きたばかりだ。
 当然着飾ってもないし、化粧もしていない。
 なのにそんな必要ないほどの艶やかさだ。

「花魁は、お武家の出ですか?」

 いきなりな問いに、音羽の目が奈緒を捕らえた。
 薫が慌てたように、二人の間に割って入る。

「な、奈緒さん、何をいきなり」

 遊女に過去を聞くなど野暮以外の何物でもない。
 売られてくるのが当たり前なのだし、自ら望んで来る者など、ほぼいない。
 過去のことなど聞かれたくないものだ。

「黒坂様とは、どういった繋がりなのです?」

 今を逃すと音羽自身から話を聞けない、と思い、奈緒は薫に構わず重ねて問うた。
 音羽の目が、すっと細められる。
 が、音羽が何か言う前に、女将がずいっと前に出た。

「申し訳ありませんがね、そういった話を店先でされちゃ困るんですよ。まぁお嬢さんはご存知ないでしょうけども、ここは殿方相手のお見世なのでね、下手に特定のどなたかのお名前を出されちゃ具合が悪いので」

 遊女屋を仕切る女将の迫力は半端ない。
 世間知らずの小娘に逆らえるはずもなく、それ以上音羽と言葉を交わすこともないまま、奈緒は招き屋を後にした。
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