淡雪
第一章
「全く最近は物騒になって困るわねぇ」

 話を聞いた母親が、ため息をつきつつ言う。

「町にも無頼浪人が溢れているし、あまり出歩くものではないな。嫁入り前の娘に何かあっては堪らん」

 父親も渋い顔で言い、奈緒に向き直った。

「卯吉を連れて行きなさいと言っているだろう。何故一人でふらふらと出かけるのだ」

「だって卯吉を連れてたって同じでしょう。わたくし一人だったら走って逃げられますけど、卯吉はそうはいきませんもの」

 つん、と言うと、父親の左衛門(さえもん)は、ぐ、と言葉に詰まった。
 卯吉はこの高保(たかやす)家に仕える小者だ。
 左衛門が若い頃から仕えているので、もう相当な歳である。
 護衛にもならない。

「とにかく気をつけなさい。何かあったら、伊田(いだ)様にも申し訳が立たない」

 ごほん、と咳払いをし、左衛門が言う。
 伊田は左衛門の上役にあたる。
 奈緒は伊田の嫡男の元に嫁ぐことが決まっている。

 奈緒はこの界隈でも評判の器量よしであったため、そういう話は降るほどあった。
 その中でも伊田に白羽の矢が立ったのは、左衛門の出世が絡んでいるからだ。
 一人娘と持参金で引き上げてやる、という言葉に売られた。

 とはいえ、伊田の嫡男である良太郎(りょうたろう)はそれなりの男だし、奈緒を好いてくれている。
 奈緒としても、特に不満のある縁組ではなかった。

「嫁入り道具も、もうちょっと揃えないといかんな。伊田様に恥をかかせるわけにはいかん」

「そうですわね。いつもの呉服屋で、わたくしたちも着物を設えなければ」

 話し合う両親に、そっとため息をつき、奈緒は居間を後にした。
 どこにそのような金があるというのか。

 持参金だけでも莫大だ。
 それは持参金という名目の、口利き料なのだが。

 下級武士など商人よりも貧乏なものだ。
 なのに誇りだけが高く、見栄えを気にする。
 すでに相当な額の借金があることを、奈緒も薄々気付いていた。
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