淡雪
「良太郎様は、わたくしと別れるだけで、今の借金をなかったことにできるのでしょう? だったら、そうなさって。元々良太郎様の背負った借金は、父のためのもの、ひいてはわたくしのためのものでしょう。だったらわたくしが代償を払うのは当然です。良太郎様の、そのお気持ちだけで十分ですよ」

「奈緒殿……」

 堪らず、良太郎の目から涙がこぼれる。
 奈緒は目を逸らせた。

 奈緒との仲を裂かれたことが、良太郎は心から悔しく残念なのだろう。
 それ故の清い涙を、奈緒は直視できない。
 良太郎が奈緒の元から去ることに、それほど衝撃を受けていないからだ。

---良太郎様とは初めからお見合いで、その時点でほぼ決まったも同然のまま今まで来たから、それほど強い気持ちはないのかも---

 誠実で信頼でき、将来の地位もほぼ約束されている。
 危ういところは何一つない。
 理想の相手と言えるだろう。

 だが穏やかな分、強い感情に押し流されるということがない。
 良太郎のことで、心に染みが広がることはない。

---良太郎様のことは好きだけど、それ以上に黒坂様の存在が大きくなってるんだ---

 それに気付いたところで、黒坂の心は音羽が占めている。
 そう思うと、きゅ、と胸が痛くなり、同時にまた、心の底からふつふつと黒いものが湧き上がる。

「良太郎様は、私が遊郭に売られたらどうなさいます?」

 いきなりな質問に、良太郎は驚いた顔で奈緒を見た。
 が、すぐに考え込む。

 真面目な良太郎は、廓で遊ぶこともない。
 遊女など、どこか下に見ているところがあるので、一旦廓に入った女子など請け出してまで娶ろうなどと思わないだろう。
 何人もの男の相手をしてきた女子など汚らわしい、というのが本音だ。

 身請けされた遊女が正妻になれなかったり、結局花街に戻って置屋を経営したりするのは、世間ではどうしても、そういう目で見られるからだ。
 現に、良太郎は『それでもいい』とは言わない。

「……悩ましいですね……」

 ややあってから、良太郎がぽつりと呟く。

「廓であれば、会いに行くことも可能ですが、請け出すのは難しい。でも人妻になってしまえば、最早手出しは叶いません」

 奈緒が廓に売られても、黒坂に嫁いでも、良太郎との縁は切れてしまう。

「しかし、奈緒殿だけにそのようなことを負わせて、私だけのうのうと別の人を娶るなどできませぬ」

「良太郎様がそう思われても、お家がありますもの、誰も娶らないわけにはいかないでしょう」

「し、しかし……。そんな気持ちでは、相手の方にも失礼だ」

「そうですね……」

 自分がその立場になろうとしている。
 そう思い、奈緒はため息をついた。
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